大学移転に関する汚職で県出納長を逮捕(S63.11.18)

昭和63(1988)年11月、岩手県政史に残る重大な不祥事が明るみに出た。
盛岡市内に本部を置く私立大学の移転用地取得をめぐり、県の元三役経験者が収賄容疑で逮捕されたのである。戦後の岩手県政において、三役経験者が刑事責任を問われたのは初めてのことで、県庁内外に大きな衝撃が走った。

事件の舞台となったのは、盛岡市郊外から岩手郡滝沢村への大学移転計画だった。総合大学化を目指す同学園は、平成元年4月までの移転完了を目標に用地確保を進めていたが、計画は容易ではなかった。農地転用や農業振興地域指定の解除など、複数の法的手続きが絡み、県や村の関与が不可欠だったからである。

捜査当局の発表によれば、当時県の要職にあった元幹部は、大学側から用地取得に関する「便宜」を期待され、その謝礼として現金百万円を受け取った疑いが持たれた。現金を渡したとされるのは学園の幹部職員2人で、捜査は県庁内の複数部署にも及び、関係書類が押収された。

この事件では、土地収用法に基づく事業認定が重要なポイントとなった。農地法上の障害を一挙に解消できる制度であり、その判断過程に県の関与があったことが、贈収賄の構図を生んだとみられている。また、過去に別の大型誘致案件をめぐって疑惑が取り沙汰された経緯もあり、大学側がそこに付け入った形だと指摘された。

12月に入ると、元幹部は収賄罪で起訴され、現金を渡した学園側の関係者も贈賄罪で追起訴された。初公判では、現金の受領自体は認めたものの、「職務権限に基づく賄賂ではない」として、わいろ性を否認。裁判では「職務権限の範囲」が最大の争点となり、
形式上の所管か
実質的に影響力を持っていたか
が厳しく問われることになった。

事件の影響は県政にとどまらなかった。県議会では知事が異例の陳謝を行い、監督責任を明確にするため自らの報酬削減を決断。幹部職員の倫理を再確認するため、庁内の人事管理体制も抜本的に見直された。滝沢村でも村長が議会で謝罪し、行政への信頼回復を誓う事態となった。

一方で、最も深い傷を負ったのは教育現場だった。大学は開設から間もない新しい学校で、ようやく第一期卒業生を送り出したばかりだった。事件による信用失墜は資金繰りにも直撃し、平成元年4月、学園は他の学校法人へ事実上の経営権移譲を決断する。借入金の肩代わりと引き換えに経営陣を刷新し、幼稚園から大学まで新体制での再出発を余儀なくされた。

教育の場を舞台にした汚職事件は、県民に大きな失望を与えた。同時に、「職務権限とは何か」「行政の影響力とはどこまでを指すのか」という問いを社会に突きつけた事件でもあった。
この不祥事をどう教訓とし、信頼される行政と教育を再構築していくのか――それは今もなお、地方行政に課せられた重い課題である。


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