【岩手現代史の転換点】昭和38年4月18日、激戦の知事選を振り返る

こんにちは。今回は、約60年前の「岩手日報」の1面から、岩手の政治史に刻まれた伝説の一日を紐解いてみようと思います。

1. 「1万4,000票差」の衝撃!約70万票が投じられた激戦

昭和38年(1963年)4月18日のトップニュースは、「千田氏当選、革新知事誕生」という巨大な見出しです。

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紙面に記された「知事選開票結果」を見ると、その激戦ぶりが数字からも伝わってきます。

  • 当選:千田正 氏(345,822 票)
  • 次点:増田盛 氏(331,554 票)

主要候補の得票を合わせると、約68万票以上という膨大な票が投じられていました。現在の知事選と比較しても、当時の人口規模や投票率の高さ、そして県民の関心がいかに高かったかがわかります。

これだけの巨大なパイの中で、差はわずか14,268票。得票率にしてわずか約2%差という、まさに「追いつ追われつ」のデッドヒートを制して、岩手県政に初の「革新知事」が誕生した瞬間でした。

2. 敗れた「増田盛」氏と、その後の目覚ましい歩み

この選挙で惜敗した増田盛(ますだ さかり)氏。彼は農林省の課長などを務めたエリート官僚から政治家に転身した人物ですが、この敗北で立ち止まることはありませんでした。

知事選の2年後には参議院議員として初当選を果たし、以後2期にわたり国政の舞台で活躍。農政のスペシャリストとして日本の発展に尽力されました。岩手県政での一敗をバネに、より広い舞台で郷土のために手腕を発揮し続けた不屈の政治家でもあったのです。

3. 三十二年の時を超えた「父子のドラマ」

ここで歴史の不思議な縁(えにし)に触れずにはいられません。この日、千田氏と激闘を繰り広げた増田盛氏。その息子こそが、後に平成の岩手県知事を3期務めた増田寛也(ますだ ひろや)氏です。

1963年: 父・盛氏が知事選で惜敗
1995年: 息子・寛也氏が知事選に初当選

父が果たせなかった「岩手県知事」という大役を、32年の時を経て息子が担うことになった……。この昭和38年の新聞紙面は、増田家二代にわたる執念と、岩手県政が歩んできた大河ドラマの「序章」でもあったのです。

4. 紙面が語る「あの頃の岩手」

選挙結果の横には県議選の結果も並び、「新人の進出めだつ」という言葉が躍っています。清酒「瑞風」の広告や、当時の農村の様子を伝える「風土計」のコラムなど、紙面の隅々から、東京オリンピックを翌年に控え、高度経済成長へと突き進む岩手のエネルギーがひしひしと伝わってきます。

まとめ

昭和38年4月18日。それは、岩手に新しい風が吹いた日であり、後のリーダーへと繋がる歴史の種が撒かれた日でもありました。

もし押し入れの奥に古い新聞が眠っていたら、ぜひ開いてみてください。そこには、今の私たちの暮らしや、よく知るあの人へと続く「意外な物語」が隠されているかもしれません。