盛岡〜青森でC51超特急の試運転(S6.1.14岩手日報)

 

昭和初期の「超特急」計画!盛岡〜青森を3時間半で駆け抜けた試運転の記録

みなさん、こんにちは。今日は、1931年(昭和6年)1月14日付の「岩手日報」に掲載された、鉄道史における非常に興味深いニュースをご紹介します。

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今から95年も前、東北の鉄路で「超特急」の実現に向けた壮大なプロジェクトが進んでいました。当時の新聞紙面からは、未知のスピードへ挑む人々の熱気とロマンが伝わってきます。


難所・東北本線北部での再挑戦

記事の主役は、上野〜青森間を結ぶ超特急の運転試験です。当時、すでに試験は行われていましたが、最大の難所として立ちはだかったのが盛岡〜青森」の区間でした。

勾配の厳しいこの区間での性能を再確認するため、1月13日、二度目となる往復試運転が敢行されたのです。一度目の試験での課題を克服し、より確実なデータを取るための重要なミッションでした。

驚異のタイム:盛岡〜青森を3時間半!

紙面によると、この日の試運転スケジュールは驚くべきものでした。

  • 午前8時2分: 盛岡駅を出発
  • 午前11時36分: 青森駅に到着
  • 所要時間: 3時間34分

現在の東北新幹線「はやぶさ」なら、盛岡〜新青森間は約45分〜50分ですが、当時は蒸気機関車の時代。山越えの多いこの区間を3時間半で結ぶというのは、当時の技術の限界に挑む、文字通りの「超特急」だったことが伺えます。

記事から読み取れる現場の緊張感

掲載されている写真には、当時を代表する高速旅客用蒸気機関車「C51 260」が力強く煙を吐く姿が写っています。

「一度目の試験にて判明して来た諸問題、特に(中略)石炭の燃焼効率や、勾配区間での加速など……」

といった、現場の苦労が偲ばれる記述も。青森到着後、乗務員たちはわずかな休憩と昼食を済ませ、午後には再び盛岡へと引き返していきました。この過密なスケジュールからも、試験の真剣さが伝わりますね。

歴史の1ページを感じて

この数年後、1934年には上野〜青森間を約12時間で結ぶ特急が登場しますが、この昭和6年の試運転はその礎となった重要な一歩でした。

セピア色の新聞記事の中に、当時の人々の「もっと速く、もっと遠くへ」という情熱が今も息づいています。地元の新聞にこれほどドラマチックな歴史が刻まれていたと思うと、いつもの線路も少し違って見えてきそうです。

 


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