盛岡駅で岡田海軍大将「ロンドン軍縮会議の件で噂になっていることはいることは確信ではない」(S5.7.10岩手日報)
1930年7月10日
2026年2月26日
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【昭和5年のリアル】盛岡駅で岡田大将が放った「真相」への一喝
昭和5年7月10日の岩手日報。その一面を飾るのは、軍服に身を包んだ海軍大将・岡田啓介氏の姿です。
大湊要港部(青森)への視察途中、盛岡駅に降り立った岡田大将を、地元の記者が直撃した際のエピソードが、当時の緊迫した空気感を今に伝えています。
1. 岡田大将の「一喝」:報道への痛烈な皮肉

記者の問いに対し、岡田大将はこう語っています。
「伝へられてる事は皆真相に触れて居らぬ。俺には何も解らないとけさ盛岡駅で岡田大将語る」
連日、新聞紙面を「海軍四巨頭会議」「難局に直面」といった言葉が踊っていましたが、当事者の一人である岡田大将からすれば「新聞が書いていることはどれも核心を突いていない(本質は別のところにある)」というわけです。
- 情報の錯綜: 庶民は新聞を食い入るように読み、国防の行く末を案じていましたが、実際には軍や政府の「ごく一部」でしか真実は共有されていませんでした。
- 庶民の関心: 岡田大将のような大物が地元に立ち寄り、これほど強い口調で語るということ自体、当時の人々がいかに軍縮問題に敏感になっていたかの証拠でもあります。
2. 庶民を追い詰めていた「生糸」と「災害」
岡田大将の記事のすぐ隣には、庶民の生活を直撃するもう一つの「真相」が並んでいます。
| 記事のトピック | 庶民の切実な不安 |
|---|---|
| 補償生糸貸付金 償還督促 | 当時、日本の輸出の柱だった「生糸」の価格が暴落。借金を返せず、首が回らなくなった養蚕農家の悲鳴が聞こえてくるような見出しです。 |
| 労働者災害扶助法案 | 工場での事故や怪我に対する補償。不況で労働環境が悪化する中、いつ自分が、あるいは家族が働けなくなるかという恐怖がありました。 |
| 甲府生糸組合 30日迄休業 | 仕事そのものが無くなる、あるいは休業に追い込まれるという経済的困窮が全国に広がっていました。 |
3. 「偉い人」の不透明さと「自分」の生活不信
この日の紙面からは、当時の庶民が抱えていた二重の不安が読み取れます。
- 政治・軍事への不信: 「真相は語られない」「内輪揉めばかりしている」という政治への苛立ち。
- 経済への絶望: 生糸が売れない、仕事がない、借金が返せないという生活の危機。
「真相は解らない」という岡田大将の言葉は、裏を返せば、庶民にとって「自分たちの運命が、自分の知らない場所で勝手に決まっていく」という疎外感と不気味さを象徴していたのかもしれません。
考察:なぜ庶民はこれほど軍縮に興味を持ったのか?
単なる「国防」への関心だけでなく、軍縮が成功すれば軍事費が減り、その分が農村救済や景気対策に回されるのではないか……という、藁をも掴む思いが当時の「軍縮報道への熱量」に繋がっていたと考えられます。
