県は米・稗・昆布の「三穀飯」を推奨(S16.8.7新岩手日報)
1941年8月7日
2026年3月4日
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昭和16年、戦時下の知恵?岩手県が推奨した「三穀飯」とは 〜新岩手日報のアーカイブを読み解く〜

今回ご紹介するのは、昭和16年(1941年)8月7日付の『新岩手日報』(現在の岩手日報)の一面です。太平洋戦争開戦のわずか4ヶ月前、当時の岩手県民がどのような食生活を求められていたのかが克明に記されています。
1. 衝撃の見出し「縣民の食膳に“三穀飯”」
まず目に飛び込んでくるのは、力強い文字で書かれた大きな見出しです。
「縣民の食膳に“三穀飯” 縣て徹底的普及に乗出す」
昭和16年といえば、生活物資の統制が極限まで厳しくなっていた頃。米の不足を補うため、岩手県は県民に対し、米だけに頼らない「三穀飯(さんこくめし)」を本格的に普及させようとしていたことがわかります。
2. 「三穀飯」の正体とその狙い
記事によると、この「三穀飯」は以下のような構成だったようです。
- 主な原材料: 米、稗(ひえ)、そして加工した「昆布」。
- 背景: 三陸沿岸で豊富に採れる昆布に着目。これを細かく加工して混ぜることで、米の消費を節約(一割〜二割)しつつ、栄養を補う。
- 特徴: 単なる代用食ではなく「時代の脚光を浴びるべき本格的な郷土食」として推奨。
岩手県の地域特性(沿岸の海産物と内陸の雑穀)を活かした、当時の苦肉の策でありつつも、合理的な「新・主食」の提案だったことが伺えます。
3. 県庁での試食会と研究
記事の後半には、県が非常に組織的にこの普及に動いていた様子が記されています。
県庁の食堂に役人や関係者が集まり、「昆布代用食研究会」を開催。実際に試食を行いながら、「品質の比較」「農村への配給」「製造加工法」「栄養価値」の4項目について真剣な議論が交わされたようです。
「米食に甘んじてゐた縣民には…」という記述からは、米が食べられなくなることへの抵抗感を払拭しようとする、行政側の必死な啓蒙活動が読み取れます。
