釜石線で橋脚が一部崩落(S34.7.1岩手日報)

【鉄道秘録】準急「はやちね」デビュー前夜の危機!釜石線・鉄橋崩落と執念の復旧劇

昭和34年(1959年)7月1日。この日は岩手の鉄道史において、準急「はやちね」が華々しく運行を開始した記念すべき日です。

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しかし、その歓喜の裏側で、前日の6月30日に一番列車の走行を揺るがすような大事件が起きていたことをご存知でしょうか。当時の「岩手日報」が伝える、手に汗握る復旧ドラマを振り返ります。


運行20時間前の激震:似内〜矢沢間での異変

事件が起きたのは、運行開始を翌日に控えた6月30日 午後3時25分ごろでした。

釜石線の似内〜矢沢間にある鉄橋を貨物列車が通過した直後、橋脚の一部が剥落し、欠壊しているのが発見されたのです。原因はコンクリートの老朽化とみられていますが、もし発見が遅れていれば、翌朝の記念すべき一番列車が脱線転落するという大惨事になりかねない状況でした。

釜石線の鉄橋 一部欠壊」「バスで客輸送」「今朝までに開通へ」

— 昭和34年7月1日付 岩手日報 見出しより

北上保線区、不眠不休の「応急工事」

知らせを受けた北上保線区(当時の国鉄保線部門)は、直ちに現場へ急行します。記事の写真には、不安定な足場のなか、手作業に近い状態で補修にあたる作業員たちの姿が映し出されています。

  • 旅客輸送の死守: 工事の間、一部区間でバス代行輸送を実施。
  • 夜を徹した作業: 崩れた橋脚に「ステージング(足場)」を組み、レールを補強。
  • 執念の開通: 翌朝の一番列車に間に合わせるべく、文字通り不眠不休の突貫工事が続けられました。

歴史の影に「保線の誇り」あり

現在のように高度な重機がなかった時代。この危機を救ったのは、現場の保線員たちの技術と、「絶対に線路をつなぐ」という強い誇りでした。

昭和34年7月1日、準急「はやちね」が無事に北上路を駆け抜けた裏側には、こうした名もなきヒーローたちの執念があったことを、私たちは忘れてはなりません。

※この記事は昭和34年7月1日の岩手日報の記事資料を基に構成しました。

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