鉄道時刻が24時間制になります(S17.10.11新岩手日報)
1942年10月17日
2026年3月22日
「午後1時は、今日から13時です」
昭和17年(1942年)10月11日。日本人の「時間」の概念が劇的に変わった瞬間が、一枚の古新聞に刻まれていました。
今回ご紹介するのは、岩手県の歴史を語る上で貴重な資料『新岩手日報』の昭和17年10月11日付夕刊(発行は前日の10月10日)です。

この紙面には、私たちが今、駅の電光掲示板やスマホの時計で当たり前に目にしている「24時間制」が導入された歴史的瞬間が記されています。
1. 鉄道から始まった「24時間制」の衝撃
メイン見出しには大きく「あすから二十四時間制實施(実施)」の文字。
「全国の鐡道(鉄道)ではあすから二十四時間制となります。ですから午前、午後の名称は廢止(廃止)されるわけです。従って午後一時は十三時、同二時は十四時となるわけです」
それまでは「午前・午後」で時間を区切るのが一般的でしたが、軍事輸送や鉄道運行のミスを防ぎ、効率化を図るためにこの制度が導入されました。記事の横に掲載された時計の写真には、12の内側に小さく「13、14、15…」と書き込まれた数字が見て取れます。当時の人々が新しい時間の数え方に慣れようとした苦労が伝わってきます。
2. 紙面が語る「戦時下の日常」
時間のニュースの周辺に目を向けると、当時の厳しい社会情勢が浮かび上がります。
- 暁天(ぎょうてん)駆け足: 宮古市で行われた軍事色の強い訓練。
- 献金と慰問: 「防空監視所への慰問」や「軍への献金」といった文字が並び、銃後の守りを固める当時の空気が克明に記録されています。
「24時間制」という一見便利なシステムも、当時は「一刻の猶予も許されない戦時体制」への適応という側面が強かったのかもしれません。
歴史のバトンを受け取って
私たちが普段、何気なく使っている「13時」「20時」といった言葉。それは昭和17年のこの日、岩手の人々も同じように新聞を広げ、新しい時代の波を感じながら受け入れた言葉でした。
古い新聞は、単なる紙切れではなく、今の私たちの暮らしへと繋がる「起点」を教えてくれるタイムカプセルですね。
資料提供:昭和17年10月11日付 新岩手日報夕刊より
