農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報)

二百十日といえば、稲作農家にとっては一年の節目とも言える重要な日である。立春から数えて210日目、例年9月1日がこれにあたる。

この日は古来より「台風が来る日」として恐れられてきた。せっかく育ててきた稲が、刈り入れ前に暴風雨でなぎ倒されるかもしれないという不安がつきまとうからだ。

昭和6年の「二百十日」、岩手日報は気象台の見解を紹介している。

まず、地元・盛岡測候所の談話では、オホーツク海方面に発達中の高気圧が、北海道や東北に冷気をもたらしており、一般に曇りがちな天候となっているとのこと。しかし、台風などの「荒れ」の心配はないとして、次のように述べている。

「近いうちに日照時間の多い日が当分続くようならば、稲作その他一般の作物の作柄も、大して心配するほどではなかろうと思います」

つまり、この年の二百十日は台風の襲来はなく、曇りながらもおおむね平穏な一日になりそうとの見立てだった。

当日の天気図はこちら(国立情報学研究所「戦前日本の天気図」より):

同紙では、中央気象台(現在の気象庁)の藤原咲平博士にも話を聞いている。この当時、藤原博士は中央気象台附属測候技術者養成所の主事であり、岡田武松台長の補佐役でもあった。

博士は次のように語っている。

「本年は今までも非常に気候が遅れがちであったものが、去る9日以来急に涼しくなり今日あたりはちょうど9月半ばの涼しさになったけれども未だこのまま涼しくなってしまうものとは思われない。今一度暑さが来るであろう。

台風は今のところ来そうもない。

二日の二百十日はまず無事に過ぎそうだが、明日辺りまではなお天気はとかくぐずつきがちですっかり晴れ上がらないであろう。」

しばらくはぐずついた天気が続くものの、大きな嵐の兆しはないという予想であった。

衛星もレーダーもない時代の天気予報で、台風の発生地点すら分からない中での気象予測。それでも地上の観測と経験から、農民に安心を与えようとする当時の気象官たちの努力がにじむ記事である。

ちなみに昭和6年(1931年)は、戦前としては比較的台風が少ない年であった。

 

最近では「二百十日」がニュースや天気予報で取り上げられることはほとんどなくなりました。かつては農業にとって重要な節目として、新聞やラジオで注意喚起されることもありましたが、現在では一般の人々の関心からも遠のいています。

一つの理由は、気候変動により台風の時期や発生傾向が以前より不安定になってきたことです。昭和の時代には、ちょうど稲が実る時期である9月初めに台風が来ることが多く、それが「二百十日」として恐れられていました。しかし現代では、7月にも10月にも大型台風が上陸することがあり、「特定の日=台風」とはいえなくなっています。

また、農業人口の減少や、稲作の機械化・耐風品種の普及などにより、かつてほど季節の細かな節目に神経をとがらせる必要もなくなっています。地域に密着した生活感覚の中でこそ意味を持っていた暦の区切りが、都市生活中心の現代では実感されにくくなっているのです。

さらに、現在の天気予報は科学的・数値的な手法で台風の動向をリアルタイムに伝えることができるため、「二百十日だから注意」といった経験則的な警戒の必要性も薄れました。

とはいえ、俳句や歳時記の世界では今も「二百十日」は季語として健在ですし、一部の農業関係者や郷土史愛好家の間では引き続き言及されています。情報が即時に手に入る時代だからこそ、こうした暦の感覚を忘れずにいたいという声もあります。


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