農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日)

昭和3年9月1日の岩手日報より。

「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。

場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に所在していた時代である。昭和4年(1929年)に本宮村向中野(現・盛岡市向中野)へ移転する前であるため、この写真も旧所在地周辺、つまり盛岡市中心部近くで撮影されたものと考えられる。

盛岡農学校は、県内の農業教育の中核として実地演習にも力を入れており、学校敷地内または近接地に水田を持ち、稲作実習が行われていた可能性が高い。

この写真に添えられた「豊穣を語る案山子」の言葉は、秋の実りを象徴する存在として案山子が立っていることに、詩情すら感じさせる。鳥を追い払うためだけでなく、豊作を見守る存在として、静かに秋の風景に溶け込んでいたのだろう。

昭和初期の盛岡の片隅にあった、こうした農の営みの記録は、今となっては貴重である。


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