k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 7月 1942 気仙郡地方事務所はさかり町記念館(S17.7.3新岩手日報) 岩手県では「地方事務所」制度を設けることになったようだが、気仙地方の事務所は、盛町にある記念館に決まった。 国鉄時代の大船渡線では、盛岡との混同を避けるために、盛を「さかり」とひらがな表記していたが、この当時からその伝統はあったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 岩手県公会堂で前線を偲ぶ演芸会(S17.7.2新岩手日報) 岩手県公会堂で、白衣の勇士を招き「前線を偲ぶ演芸会」が開催された。 白衣の勇士とは傷痍軍人のこと。 このような福祉事業は、皇后陛下の御心のもとに行われるということになっていた。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 7月 1942 翼賛議員による初の花巻町議会(昭和17年7月2日) 昭和17年7月4日の新岩手日報より。 記事そのものの表現を借りると「花巻町翼賛選良の新町会」。 既に政党は「大政翼賛会」となっていた。 地方議会レベルでも翼賛会の動きが出ていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 盛岡市で隣組配給制を再検討する懇談会(S17.7.2新岩手日報) この時期、盛岡市では配給制に不満のある市民もいたようで、近く懇談会が開かれると言うことであった。 … 続きを読む
l全県 7 5月 1942 翼賛選挙で非国民は誰?(S17.5.7新岩手日報) 【昭和の記憶】新聞が問う「非国民は誰か?」— 昭和17年の翼賛選挙と無効票 昭和17年(1942年)5月7日。当時の地元紙『新岩手日報』の紙面に、現代の私たちからすれば背筋が凍るような見出しが躍りました。 「非国民は誰か?」 これは、同年4月30日に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙… 続きを読む
l全県 3 5月 1942 翼賛選挙の選挙結果(S17.5.3新岩手日報) 昭和17年5月3日 新岩手日報に見る「翼賛選挙」の深層 昭和17年(1942年)5月3日の「新岩手日報」の紙面は、まさに翼賛選挙(第21回衆議院議員総選挙)の開票速報と、「推薦候補圧勝」の文字で埋め尽くされています。 国家が「選別」した推薦候補の圧倒的優位 Screenshot この選挙の最大の特徴… 続きを読む
l全県 3 5月 1942 翼賛選挙「断然強い推薦候補!」(S17.5.3新岩手日報) 【歴史を読み解く】昭和17年5月3日「新岩手日報」が伝える、翼賛選挙の熱狂と違和感 古い資料を整理していると、時折、教科書でしか見たことのない「歴史の分水嶺」が生々しい姿で現れることがあります。 今回ご紹介するのは、昭和17年(1942年)5月3日発行の「新岩手日報」。太平洋戦争開戦から半年、日本中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 1月 1942 ノモンハン事件で戦死した釜石市出身勇士の遺族に皇后陛下が御下賜品(昭和17年1月24日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 満蒙国境で展開されたノモンハン事件で戦死した日本兵は7000人とも9000人ともいわれている。 この戦死者に対し、釜石市出身者遺族に1月24日、盛岡の県庁本庁舎で御菓子と御歌複本の伝達式が行われるという。 対象者は14名であった。 &… 続きを読む
l全県 20 1月 1942 日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され… 続きを読む
l全県 20 1月 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
l全県 16 1月 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
j東磐井郡 11 1月 1942 東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 アメリカとも戦争が始まり、物不足はより深刻化していた。 それで、ゴム靴の配給も不足がちになっていったが、ゴム靴を要求するわけではなく「ゴム靴依存を排撃すべきだ!」と、東磐井郡の黄海青年団は1月11日~15日の間、藁加工練成会を開催し、ツマゴ、ユワケ等の藁靴の製作… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1942 岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を… 続きを読む
l全県 9 12月 1941 真珠湾攻撃のニュースを聞いた岩手では(S16.12.9新岩手日報) 【昭和16年12月9日】「血沸く110万県民」真珠湾攻撃、翌日の岩手 新岩手日報の紙面から紐解く、開戦前夜の記憶 1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃。その衝撃的な第一報を受け、翌9日の『新岩手日報』は、紙面全体から熱気が立ち上るような特別な高揚感に包まれていました。 Screenshot… 続きを読む
備考※1 8 12月 1941 【参考】対米英宣戦布告 1941昭和16年12月8日、真珠湾攻撃に成功し対米英に宣戦布告。 https://www.youtube.com/watch?v=CLiLkoHhgC8… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 11月 1941 岩手県産業奨励館が閉館(S16.11.25新岩手日報) 昭和16年11月25日の新岩手日報が伝える岩手県産業奨励館の閉館ニュースは、開戦直前の緊迫した時代背景を色濃く映し出しています。 Screenshot この記事は、明治から昭和にかけて岩手の近代化を牽引してきた象徴的な建物が、時局の波に押されて52年の歴史に幕を閉じる瞬間を記録したものです。 この施… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 11月 1941 一関出身の女性がアメリカから引き揚げて帰郷(S16.11.25新岩手日報) 昭和16年11月25日付の岩手日報には、開戦直前の極めて緊迫した情勢下でアメリカから帰国した、一関出身の45歳の女性のインタビューが掲載されています。 Screenshot 彼女はアメリカのシアトルやタコマ、そしてウィラパといった地域で33年にわたりクリーニング業を営んできました。12歳で渡米して以… 続きを読む
m県外・参考 22 11月 1941 第77回臨時帝国議会(決戦議会)を終わって県選出議員の所感 この時期、日中戦争のさなかであったが、アメリカが日本から満州や中国戦線から手を引かせようとしていた。 これを日本は「アジアのやっていることに欧米列強が首を突っ込んできた。どうせアメリカだって同じことをしようとしているくせに」と国民全体に不満が鬱屈していた。 第77回臨時帝国議会は「決戦議会」と呼ばれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 11月 1941 前線に送る「スンベ」「ツマゴ」出荷最盛期(S16.11.7新岩手日報) 「スンベ」「ツマゴ」とはどちらも藁で作った雪上の履き物。 農閑期の貴重な財源だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 11月 1941 一関町の巴軽楽団は鳴子温泉の陸軍療養所に傷痍軍人を慰問(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 一関町の巴軽楽団は11月3日の明治節の良き日に宮城県の鳴子温泉の陸軍病院療養所で傷痍軍人の慰問を行うことになったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1941 毎月1日は興亜奉公日(S16.11.2新岩手日報) 昭和十四年以降、毎月1日は「興亜奉公日」として、弁当は日の丸弁当にすることなどが定められていた。 盛岡市内でも、興亜奉公日の遥拝などが展開されていた。 … 続きを読む
l全県 2 11月 1941 逓信省「12月1日~3月31日は電力の消費規制を行います!」(昭和16年11月2日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 この時期は日中戦争のさなかでもあり、また冬の渇水期間でもあり、逓信省は電力の消費規制を行うことにした。 期間は昭和16年12月1日~昭和17年3月31日。 これまでもこの種の規制は行っていたが、これを強化するものとなり、取付灯数20灯以上から、取付灯数10灯以上… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1941 電撃宰相東條さん「国を強くする為に皆んな働かう!」(S16.11.1新岩手日報) 時の宰相東條英機が大政翼賛会の会合で演説をする。 「国を強くするために皆んなで働こう!」 戦争とは例外なく職場をブラックにするものだ。 … 続きを読む
l全県 14 9月 1941 石油が無いので漁業にもランク付け(S16.9.14新岩手日報) 【歴史秘話】昭和16年9月14日「新岩手日報」を読み解く:戦時下の三陸漁業と食糧統制 真珠湾攻撃のわずか3ヶ月前、昭和16年(1941年)9月14日の「新岩手日報」。そこには、戦時体制へと急速に傾斜していく岩手の緊迫した空気と、食卓を襲う厳しい現実が刻まれていました。 Screenshot 特に注目… 続きを読む