a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 11月 1955 山田線の赤字はすでに3億円(昭和30年11月16日) 昭和30年11月16日の岩手日報より。 前年、やっとのことでアイオン台風の被害から復旧し全線開通はしたものの・・・ 岩手日報の表現をそのまま使えば、「あまりにもみじめであり、栄養失調寸前のうきめに会っているという情ない現状だ」とまで言われる状況であった。 盛鉄局管内には12の路線があったが、営業成績… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 11月 1955 盛岡中劇で大映映画「珠はくだけず」「見合い旅行」同時封切 昭和30年11月16日の岩手日報の広告欄より。 盛岡中央劇場で大映映画「珠はくだけず」「見合い旅行」が同時封切。 根上淳・若尾文子・菅原謙二といった若い俳優一挙12人が主演する青春映画「珠はくだけず」は11月1日公開、山本富士子主演の「見合い旅行」は実に11月15日が初公開だったので、盛岡でのタイム… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 11月 1955 七五三は平服で 昭和30年11月16日の岩手日報より。 11月15日は七五三の日であり、県内各地の神社では子供連れでにぎわったという。 女の子は振袖が多かったが、男の子は平服に近いものが多く、新聞そのものの言い方を借りると「親の見栄や虚栄心ともみられていた七五三もだんだん一般化してきたのは近頃の傾向」としている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 11月 1955 汽笛のまにまに 盛岡駅の24時間 昭和30年11月13日の岩手日報では、盛岡駅の24時間を1ページ内の写真で大々的に報じている。 盛岡駅はまだ「民衆駅」ですらなく、木造駅舎だった時代である。 盛岡駅の朝は、担ぎ屋のおばちゃんから始まる。 20貫(75kg)もの荷物を担いで数里の道も歩くのだという。 彼女たちは、「どっこいしょ」と座っ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 11月 1955 県庁の玄関脇に「県民室」開設し好評 昭和30年11月11日の岩手日報より。 4月に岩手県知事が国分知事から阿部知事に変わり、民主的な県政をアピールするべく県庁の玄関脇に「県民室」をもうけ、県民の相談事に乗っている。 主に来る客としては、陳情が多いようで、そのほかにも県職員の採用相談や、農地問題の紛争解決、海外移民の相談、などの相談事が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 11月 1955 教育会館の隣に5階建ての文化ビルを建てます!(昭和30年11月7日) 昭和30年11月7日の岩手日報より。 盛岡市では、国鉄盛岡工場二枚橋分工場の払い下げ鉄骨で、上田に東北一の体育館を建築しようと計画していた。(→昭和32年完成の盛岡体育館) このほか、盛岡市内の一等地である教育会館の隣の大通に文化センターを建設しようと計画していた。 構想によれば、四囲を緑地帯に囲ま… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 11月 1955 川徳で創業88周年記念謝恩大売出し 昭和30年11月5日の岩手日報の広告欄より。 盛岡を代表するデパート・川徳が一面を使って大々的に広告を出している。 当時は肴町の、現在のホットライン肴町の入り口あたりに店舗があった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1955 盛岡・丸正が増築開店(S30.11.2岩手日報) 盛岡の衣料品デパートである丸正が増築開店との広告。 「トンコ節」「初恋ヤットン娘」の久保幸江のサイン会もあったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1955 盛岡・松竹座で「太陽は日々に新たなり」封切!(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 松竹映画「太陽は日々に新たなり」を盛岡・松竹座で公開。 佐田啓二と岸恵子の主演で、昭和30年10月25日の公開なのでさほどのタイムラグはない。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1955 盛岡中劇で何故か「優秀文化映画を見る会」(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 盛岡中劇で「優秀文化映画を見る会」が催されるという。 映画館通りのど真ん中で、夜の9時からこんな真面目な映画を見せてどのくらいの客が集まったのかは分からないが、文化の日の前の日ということで、やろうとおもったのだろうか・・・  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1955 盛岡・川徳デパートで食品大売り出し!(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、食料品の大売り出しをやるという。 当時の物価が見て取れる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1955 盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。 へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1955 盛岡・文化劇場で「阿修羅四天王」「東京暴力団」公開!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の文化劇場では「阿修羅四天王」と「東京暴力団」を公開する。 「阿修羅四天王」は昭和30年4月26日初公開の東映時代劇で市川右太衛門が主演。 「東京暴力団」は昭和30年5月25日初公開の大映映画で、菅原謙二や川崎敬三等が出演。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1955 盛岡・中央ホールで「男の争い」「肉体の怒り」封切!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールで「男の争い」と「肉体の怒り」を封切する。 「男の争い」(原題:Du Rififi chez les Hommes)は昭和30年製作のフランス映画で、日本での初公開は昭和30年9月22日。 「肉体の怒り」(原題:La Rage Au Corps)… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1955 岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 岩手町のキャベツは、普段であれば9月に出回っていたところ、この年は夏蔬菜が早く終わってしまい値が良いので、8月下旬には出回るようになり、貨車が足りないほどであったという。 ここ数年は冷害であったが、この年は豊作であったという。 1俵(6貫)で、大阪300円、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 8月 1955 盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) 昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 8月 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 8月 1955 盛岡~陸前高田の直通バスは翌月実現か(昭和30年8月13日) 昭和30年8月13日の河北新報岩手版より。 この時点で、岩手中央バスが盛岡~遠野間に、国鉄バスが遠野~陸前高田に路線があった。 この2路線を統合して、中央バスと国鉄バスが盛岡から陸前高田までを通しで運行できるように陸運局に陳情をしていたのである。 これを受け、運輸省から担当者が来県し、実現近しとの見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 8月 1955 紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。 この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1955 胆沢地方事務所公金横領問題で辞職した県農政課長は葛巻町長に立候補(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 先に、県庁の希望退職で労組が「希望退職させるならまずは胆沢事務所の公金汚職問題の関係者を辞職させろ」と迫った問題で、直接関係は無かったにしろ当時の所長であった相良政行農政課長は辞表を提出するに至った。 相良課長は、当時の阿部千一知事に身の振り方を相談した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1955 県では赤字財政のため希望退職を募集(昭和30年8月5日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 県では、赤字財政のために希望退職を募集していた。 9月末までに480名の減を予定していたが、実際に集まるのは300名ぐらいだと思っていたところ、何と7月までに辞表が295通に達したのである。 この調子であればもう50人追加で530名でもいけるだろうと目標を変… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 8月 1955 盛岡で「今年こそ仙台に負けまい」と七夕が開幕(昭和30年8月4日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 8月4日から、盛岡市内でも七夕まつりが始まった。 「ことしこそ仙台に負けまい」と気合いが入っていたのだという。 それで、大通りや肴町では車馬通行止めとなり、警官が総出で交通整理するなど大変な賑わいであったという。 大通りでは200店が参加し、七夕コンクールを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1955 平金商店(電話盛岡48番)ではブルースター計算機を絶賛販売中 昭和30年5月18日の岩手日報に掲載された広告より。 コンピューターなんてものがなかった昔、計算機といえば「タイガー計算機」とかそういうのが主流だった、ということは知っている。 ブルースター計算機というものがどういうものであったかというと、統計資料館(総務省統計局)のページによれば、以下のとおりであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1955 最新式ソフトドーナツ製菓機 昭和30年5月18日の岩手日報の広告欄より。 最新式のソフトドーナツ製造機の広告が出ている。 ああ・・今でも夜店とか行けばこんな感じの機械はあるのかもしれない。 これは製菓機そのもののコマーシャルというよりは、「起業しませんか!」という広告であるように思える。 昭和30年代中頃で、日本の労働力人口は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 5月 1955 岩手中央バスの本社が日影門から駅前に移転 昭和30年5月17日の岩手日報より。 岩手中央バスの本社車庫が、5月16日に日影門から駅前に移転し、盛岡市長や陸運局長まで招いて落成式典が行われた。 そして18日から、バスは本社前から駅前の発車に変わり、日影門の本社前は観光バス専用になるという。 これで、内丸の本社前道路も混雑が緩和されるのではない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 5月 1955 ゴム車の御用命はこちら 昭和30年5月17日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡と北上の販売店が「在庫豊富」を謳い文句にして宣伝している。 見た限りでは、大八車のうち車輪がゴムであるものをそのように呼んでいるようだ。 現在、Googleで「ゴム車」で検索しても、自由工作で輪ゴムを使ったはずみ車が出てくるだけで、このような… 続きを読む