盛岡駅前の最後の人力車夫

昭和30年11月29日の岩手日報より。

「この道三十年」というシリーズ物の記事より。

戦前は盛岡駅前に50台以上の人力車が並んでいたという。
そして1日に1円稼げば御の字で、50~60銭稼げばその日の米代にも事欠かなかったという。

昭和9年に山田線が宮古まで開通する前は、テトテトとラッパを鳴らして走る箱馬車が主力であったという。
そんな時代に宮古まで2日がかりで行ったこともあるという。

明治時代に大正天皇が皇太子殿下だった時、小岩井農場にいかれた頃は300台もの人力車が列を連ねたのだという。

 

そして時は流れ、人力車夫も1人引退し、1人は死に・・・で最後に残ったのは、この79歳の車夫も含めて3名だけになってしまった。

運賃は50円が相場であるというが、交渉次第で20円でも30円でもOKであるという。

1日の稼ぎは平均で100円程度であるという。

子供は独立して孫までおり、楽しみは仕事の跡のチュウ(焼酎)であるということであった。

 

 


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