a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1964 本県選出の官房長官・外務大臣がお国入り(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 第3次池田内閣で、閣僚入りした岩手県選出の鈴木善幸官房長官、椎名悦三郎外務大臣がお国入りした。 盛岡駅前は宮古などからマイクロバスできた支持者で溢れかえる。… 続きを読む
l全県 1 8月 1964 東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 東京オリンピックを10月に控え、カラーテレビ商戦が白熱していた。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 30 11月 1963 宮古港に初冬の風物詩ウミネコが舞う(昭和39年11月30日) 昭和39年11月30日の岩手日報より。 宮古港ではサンマ漁も終わり、めっきり寂しくなってしまったが、今度は宮古魚市場の岸壁では、餌を求めうみねこが乱舞していると言う。 このうみねこは、この界隈の初冬の風物詩であったと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 6月 1963 コンパーノは岩手ダイハツで! 昭和38年6月26日の岩手日報の広告欄より。 岩手ダイハツによるライトバン「コンパーノ」の広告。 岩手ダイハツは盛岡市平戸というので盛岡駅の近くにあったようである。 ナンバーを見る限り、軽ではなく普通自動車である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 6月 1963 昭和38年の夏至、盛岡では最高気温24.2℃(昭和38年6月22日) 昭和38年6月23日の岩手日報より。 夏至の6月22日、台風第4号が去り県内各地は気温が上がり、盛岡では最高気温24.2℃で市内の商店では打ち水をしていた。 写真は盛岡駅前。 真ん中の女性はこの時代にしてはスカートが短いのではないだろうか。… 続きを読む
m県外・参考 20 6月 1963 東京〜八戸〜札幌の定期便が就航 昭和38年6月20日、北日本航空が東京〜八戸〜札幌の定期便を開設。 機材はコンベア240で、ダイヤは以下の通りであったという。 札幌8:30〜八戸9:40〜羽田12:00 羽田13:00〜八戸15:00〜羽田16:30 当日の八戸空港は、札幌市長から八戸市長へのメッセージ公開や、ミス八戸による郷土玩… 続きを読む
l全県 29 5月 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1963 盛岡少年院に「イレズミを除去する器械」 昭和38年5月28日の岩手日報より。 盛岡少年院に、入れ墨をとる器械が入ったのだという。 正式には「自動調節付き電気メス」というのだそうで、真空管から電気メスに6.83メガサイクルの高周波を発信させ、メスと人体表面との接触部分に破壊作用を起こさせる仕組みなのだという。 東北地方の少年院ではここにしか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 4月 1963 盛岡東映で「中山道のつむじ風」「特別機動捜査隊」公開(昭和38年4月7日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 盛岡東映では「中山道のつむじ風」「特別機動捜査隊」を公開する。 「中山道のつむじ風」は、昭和38年3月31日公開で、出演は松方弘樹・月形龍之介など。 「特別機動捜査隊」は、昭和38年3月31日公開で、出演は安部徹・織本順吉など。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 4月 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡鉄道公安室が急行「おいらせ」車内の無法者を下車させる(昭和38年4月5日) 昭和38年4月7日の岩手日報より。 この時期、列車内での暴力が問題に乗っていた。 4月5日の7時過ぎ、上野行きの急行「おいらせ」の車内で、車内が満員であるにもかかわらず座席を広く占有して、他の曲に注意されても聞き入れないで眠ったふりをしていた酔っ払いの東京都内の工員を、盛岡駅到着と同時に、盛岡鉄道公… 続きを読む
g北上・和賀郡 5 4月 1963 北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報より。 この前の年の12月、横黒線は和賀仙人から陸中川尻の間の14.5キロが、ダム建設で水没するため、線路が山手に切り替えられた。このことで勾配が急になりトンネルも6つが新設されることになったのである。 これまで、この区間を走る機関車の機関士は、旧軍隊が作った防毒マスクを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡体育館の江利チエミショウに御招待!(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報の広告欄より。 江利チエミショウが5月18~19日に盛岡体育館で開かれるという。 盛岡専門店会加盟の店で買い物をすれば抽選で13376名様を御招待、という内容である。 当時の江利チエミは高倉健と結婚し、新宿コマ劇場での座長公演を始めたという時期であった。 &… 続きを読む
l全県 3 4月 1963 岩手県知事選は全国に先駆けて記号式投票で(昭和38年4月3日) 昭和38年4月3日の岩手日報より。 4月17日に予定されていた岩手県知事選挙は立候補の届け出が4月2日の午後5時で締め切られることとなり、候補者は2人となった。 この選挙は、希望色の投票で行われることになり、全国の知事選挙でははじめてのケースとなった。 これが成功すれば、将来的には国会議員選挙でも希… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1963 内丸座で4/18公開予定の「ウエストサイド物語」前売券発売中(S38.4.1岩手日報) この年の4月18日に「ウエストサイド物語」が内丸座(後年のSY内丸)で公開というので前売券発売中という広告。 アメリカでの初公開は昭和36年10月18日、日本での初公開は昭和36年12月23日で、東北では初公開だったようだ。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 4月 1963 山田町に県下初の「まごころ銀行」 昭和38年4月3日の岩手日報より。 山田町では4月1日から社会福祉協議会により「まごころ銀行」が店開きをしたのだという。 これは町役場内の社協事務局に本店を置き、豊間根・大沢・船越・織笠に支店が設けられ、口座は「心」「技術」「労力」「金品」「血液」の5口座に分かれるという。 開店した「まごころ銀行」… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 4月 1963 志戸平温泉にこども天国「有楽園」がオープンします! 昭和38年4月1日の岩手日報の広告欄より。 花巻の志戸平温泉に遊園地「有楽園」がオープンするというニュース。 豆電車、観覧車、飛行塔、豆自動車、モノレールなどがあるという。 オクトパス、キャタピラ、ダンプボートというのは何なのかはよく分からないが・・・ まだ志戸平温泉に花巻電鉄で行っていた頃。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 29 3月 1963 花巻バスのストは泥沼化、どうしようもないのでトラックで通勤するサラリーマンも(昭和38年3月29日) 昭和38年3月29日の岩手日報より。 花巻バスの労働争議は泥沼化し、29日以降「無期限スト」の様相を呈してきた。 なぜこういう事態になったかというと、1月22日に岩手中央バスのストがあった際、中央バスに委託していた紫波町の通学バスを、花巻バスの貸し切りバスで運行しようとした。 いわゆる「スト破り」で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 盛岡・松屋「全店春の大奉仕セール」(S38.3.29岩手日報) 盛岡の中ノ橋通りにあった松屋デパートでは、全店春の大奉仕セールを開催していた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します! 昭和38年3月29日の岩手日報より。 盛岡市内はとみに交通渋滞が激しくなってきた。 1日に開運橋付近では12,000台、中の橋付近では11,000台と、昭和33年の約2倍という状況であった。 盛岡警察署管内の自動車登録台数は約20,000台で昭和30年の5.3倍。 交通事故は592件と昭和30年の4… 続きを読む
m県外・参考 29 3月 1963 国立高専は入学取消が続出 昭和38年3月29日の岩手日報より。 昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。 これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。 ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1962 プリンス・グロリア117万円!スカイライン105万円(昭和37年1月16日) 昭和37年1月16日の岩手日報より。 岩手プリンスでは、プリンス自動車の大売り出しをしている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1962 盛岡河川漁協が簗川でサケの稚魚の放流(昭和37年1月14日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 盛岡市神子田町(かつて市立病院があったあたり)の盛岡河川漁協は、簗川でこの年初めてのサケの稚魚の放流を行った。 前年の11月に北上川や簗川に遡上した親サケから採卵し、簗川で孵化した10万尾を放流したのである。 放流された稚魚は、群れを成して本流へ巣立っていった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1962 岩手川「乾杯!ご成人おめでとう」(昭和37年1月14日) 昭和37年1月14日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の酒造メーカーである「岩手川」は、昭和45年まで「浜藤酒造店」という商号であった。 酒造メーカーだけに新成人となれば潜在顧客がそれだけ増えるということになる。 それで、1月15日の成人の日を前に広告を打ったわけだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 13 1月 1962 見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 花巻市高松地内の県道花巻-鱒沢線で、沿岸から来たトラックと花巻発遠野行きの花巻バスが正面衝突した。 見通しの悪い峠道であり、路面が凍結しているという悪条件もあった。 衝突により、バスの中の45名の乗客のうち35名が転び、3名は重軽傷。 現在でこそこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1962 繋温泉に無料の市民浴場が完成 昭和37年1月13日の岩手日報より。 「盛岡の奥座敷」として知られる繋温泉で、繋温泉組合の出費と地元民の勤労奉仕で市民浴場「薬師の湯」が完成した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 1月 1962 空前のスキーブームで前年比1割増 昭和37年1月11日の岩手日報より。 写真は龍ヶ森駅 この年は「空前のスキーブーム」だったようで、龍ヶ森や八幡平といったスキー場は例年に比べ1割多い人出であったという。 盛鉄局調べでは、旧臘12月24日~1月5日の入り込み人員は以下の通りであったという。 八幡平 374人(+10%) ・・・ 東北地… 続きを読む