e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
m県外・参考 2 11月 1933 関東庁では巡査を募集します!(昭和8年11月2日) 昭和8年11月2日の岩手日報より。 関東庁では巡査を募集しているという。 ただし、試験場は東北では仙台と福島だけ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 3月 1933 川徳では春の呉服・雑貨大売出し! 昭和8年3月4日の岩手日報より。 前日に発生した三陸大津波に際し、「畏き辺り」つまり天皇陛下(というか宮内省なんだろうけど)は被害を「痛く御軫念あらせられ」、昭和2年の北丹後地震の時と同様、侍従を被災地にお差遣することとした、というニュース。 そのわきでは盛岡の川徳が「春の呉服・雑貨大売出し」の広告… 続きを読む
l全県 2 3月 1933 ブラジル移民大募集 昭和8年3月2日の岩手日報より。 岩手県庁がブラジルへの移民を募集している。 「3人以上の家族に限る」としているのは、労働力を求めていたサンパウロ州政府側がそのように求めていたため。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1933 岩手県警察部の巡査採用試験の問題(昭和8年3月1日) 岩手県の巡査採用試験は昭和8年3月1日午前9時から岩手県公会堂で行われた。 出願者250名に対し受験者は128名で、採用は15~16名の予定であるという。 そして、以下のような問題が出題されたという。 地理 イ、租借地 ロ、委任統治地の説明 ハ、奥羽地方にある県名を列挙しその県内の智明を列挙せよ 綴… 続きを読む
備考※1 24 2月 1933 【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」 岩手とは直接関係ないニュースではあるが、時代相を知る資料として。 満州事変の事実関係の調査を行った「リットン調査団」の調査報告書を国際連盟の場で採択することになった。 要は「日本が悪い。満州から手を引け」と。 松岡洋右は流暢な英語で長広舌の演説を行ったが、結局は42対1で採択される。 これに対し、松… 続きを読む
l全県 2 2月 1933 山海関の戦いで本県出身兵士は(S8.2.2岩手日報) 昭和8年3月1日、日中戦争で山海関の戦いがあったが、本県出身の将兵も戦いに参加していた。 戦死した兵士は新聞に名前が載り、負傷兵は新聞の取材を受けていた。… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 青森県警察部でニセ高文官僚(S7.11.1岩手日報) 青森県警察部に、「東京帝国大学を卒業し高等文官試験に合格した」というふれ込みの警部補が入った。 しかし、その青森県警察部には同郷の警察官が勤務していた。 それで全てがバレ、一週間で免官になってしまった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 盛岡警察署の交通取締の結果(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 盛岡警察署では、10月18日〜30日まで各交番を指揮して交通一斉取り締まりを実施した。 その結果は以下の通り。 告発 28件 自動車無免許運転 3件 自動車泥除け無し 1件 自動車規定表示無し 6件 貨物自動車に乗車 1件 自転車警告設備無し 5件 自転車無灯火 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 10月 1932 遠野中学に廃止説!?(昭和7年10月29日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 明治34年(1901年)に開校した遠野中学校は、開校から30年にして財政難から廃校すると言う噂が立った。 それで、遠野町の複数の町議が町役場に集まって協議した結果「阻止運動を本格化させる前に成り行きを静観しよう」と言うことになった。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1932 花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) 昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 1月 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにした。二戸警察署長の案内で馬橇に乗り、小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かる。谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけても返事がない。奥に入ると中は真っ黒で顔も見えず、再び声をかけると藁布団から現れた… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 1月 1932 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 1月4日、宮古町で下閉伊郷軍の仮装動員が行われた。 これは実際の戦時召集ではなく、平時における在郷軍人を対象とした模擬動員訓練で、参加者には「職員召集令状」が送られ、指定日時・場所に集合するという手順が取られた。 当日は、宮古町内の集合場所に元兵士らが集まり、林大佐… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報) 昭和6年9月15日の岩手日報によれば、盛岡の工兵第8大隊と弘前の輜重兵第8大隊による連合演習が、日詰付近の北上川両岸で実施されることになった。 これは、あらかじめ設定された想定に基づき、材料の授受や渡河訓練を行うものだという。 掲載された写真は、その前日の9月14日に撮影されたもので、盛岡(観武ヶ原… 続きを読む
l全県 11 9月 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報には、当時の中華民国で発生した未曾有の大水害に対し、岩手県内でも義援金募集が始まったことが報じられています。 1931年中国大洪水は、黄河・長江・淮河流域を襲った一連の洪水で、記録上最悪級の自然災害とされます。前年までの旱魃に続く豪雨と雪解け、さらに活発だった台風活動が重… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 昭和6年9月2日の岩手日報によれば、盛岡市では市内に水道を敷設する計画を進めており、その水源地として米内川が候補に挙がっていた。 この日、盛岡市議会の一行は上米内駅で下車し、川沿いを歩きながら現地調査を実施。写真には、白いスーツや帽子を身につけた市議らが河原に立ち並び、水量や周辺の地形を確認している… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 8月 1931 市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日) 昭和六年八月三十一日──その日は久慈町の「市日」で、二十八日町は近郷近在からの買い物客でごった返していた。 そんな雑踏のさなか、突如として乗合自動車が群衆をなぎ倒す。 ナンバー「岩二九」のその車両は、軽米自動車組合のものであり、本来であれば軽米〜久慈間を運行しているはずのバスであった。 しかし、事件… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1931 軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報) 昭和6年1月1日の岩手日報には、軍隊におけるのんびりとした新年の様子が伝えられている。タイトルは「朝風呂に浸ってのんびり新年を祝ふ 楽しい軍隊生活」。 記事によれば、元旦の早朝、盛岡に駐屯する騎兵第3旅団では、兵舎ごとに紅白の幕が張られ、静かな年明けを迎えていた。兵士たちは夜明けとともに順に「朝風呂… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 3月 1930 岩手県庁疑獄事件(S5.3.20判決) 昭和4年春、岩手県庁穀物検査所で現金約6,000円が盗まれる事件が発生した。犯人は金庫を盗み、中の現金を持ち去った後、金庫を窓外に捨てて逃走。この事件は内部関係者の犯行と疑われ、県庁関係者を対象に捜査が進められた。 捜査の結果、県庁会計課の職員が不審な豪遊を繰り返していることが判明。彼は遊郭や料亭で… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 3月 1930 西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) 昭和5年、岩手県内では海軍志願兵に対する徴募検査が各地で行われていた。そのうち西磐井郡では、一関小学校を会場として検査が実施され、多くの若者が海軍各部門への志願に臨んだ。 この検査で、当時の西磐井郡老松村(現在の一関市花泉町)出身の中村一男君が、少年航空兵に合格したことが報じられている。 少年航空兵… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 函館で不敬事件発生。内容は極秘(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報によれば、函館市で不敬事件が発生し、関係者が拘束された。 事件は、函館地方裁判所の令状に基づき、潮見刑務所支所で取調べが行われたとされているが、その内容は「極秘」とされており、一切が伏せられている。罪名として「不敬罪」が示されているのみで、具体的にどのような発言や行動が問題… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 昭和5年の岩手県議会議員選挙をめぐり、盛岡地方裁判所検事局は大規模かつ徹底的な選挙違反捜査を展開していた。 この日報じられたのは、その取り調べが医療の領域にまで及んだという事実である。容疑の一つに「病気を装っていたのではないか」という疑惑が浮上し、検察はその裏付けとして病院関係者を聴取したのみならず… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(S5.3.1岩手日報) 大正10年11月4日、日本の総理大臣・原敬が東京の大塚駅で刺殺された。犯人は当時24歳の鉄道省転轍手・中岡艮一であり、裁判の結果、無期懲役の判決を受けた。 それから9年後の昭和5年3月1日、岩手日報には服役中の艮一の出所が近いという報道が掲載された。その記事では、東京・大塚駅近くで支那そば屋を営む艮… 続きを読む
l全県 1 3月 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) この年から、海軍では新たに「少年航空兵」の募集を始めることとなった。 「少年航空兵」とは、年少のうちから選抜・教育され、将来の海軍航空隊員として育成される制度である。身体的・精神的に健全で、かつ将来的に飛行機乗りや航空技術者としての資質を持つ者が対象とされた。 横須賀鎮守府管内での採用枠は40名とご… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報には、盛岡市八幡町の貸座敷組合(遊郭)において、時代に即した改革が実施されることが報じられている。 記事によれば、貸座敷組合では、当時約80名にのぼる娼妓に対しアンケートを実施。その結果を踏まえて、以下のような改革案が採用された。 勘定書は仲居に持たせることとし、娼妓の手当… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 3月 1930 トラホームは「虎眼」?(S5.3.1岩手日報) 昭和5年(1930年)3月1日の『岩手日報』には、今ではあまり見かけない病名が登場する。それが「虎眼(とらめ)」、すなわちトラホームである。 記事によれば、水沢町(現・奥州市)では3月4日、徴兵年齢に達した壮丁者たちに対し、虎眼の検診が行われるという。 トラホームとは、クラミジア属の細菌によって引き… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1929 立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月5日の岩手日報に掲載されたニュースによれば、立川飛行場所属の陸軍機が厨川村の雫石川河畔に不時着するという事故が発生した。 この陸軍機は弘前から立川へ戻る途中だったが、厨川村上空で何らかの事情により飛行を続けることが困難となり、最終的には雫石川の高圧電線に接触。そのまま川の河原に不時着した… 続きを読む