d宮古・下閉伊郡 7月 1日 1946 樺太からの脱出者に聞く樺太の現状(昭和21年7月1日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 終戦後10か月余り、ソ連に占領された南樺太で生活を続け、昭和21年に年が明けてから脱出した宮古市内の30歳の男性に、終戦後の樺太の様子を聞くことにした。 終戦時の混乱 国境近くの気屯飛行場で警備にあたっていた。 その後敷香まで土工を率いて敷香に行くことを命ぜられた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1945 昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 当時、大槌湾は「養殖昆布の先進地」であると認識されていたようである。 その大槌湾では子供たちが小舟が沈みかけるほど大量に昆布を収穫していたという。 大槌漁協割り当ては5,957貫であったが、6月30日の時点でそれを達成し、これまで使わなかった穴布(あなめ)まで採取… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 盛岡魚市場に鮪ドッサリ入荷(S17.7.2新岩手日報) 盛岡魚市場に、釜石や八戸方面からマグロがドッサリ入荷したという。 当時であればすでに山田線が開通しており、輸送も容易であっただろう。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 8日 1942 戦時下でも津軽石川の川開きは大盛況(昭和17年1月8日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭の名産地・津軽石川の川開きは全国的に有名となっており、東京方面からも見物客が来ていたという。 昭和17年の川開きは1月8日。 魚の魚体は小さいが2万~2万5千本ぐらいは漁獲できるのではないかと予想していた。 また、魚自体が品不足で見物方々食糧獲得で颯… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 19日 1940 釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 釜石港では近年にないイワシの豊漁であり、須賀埋立地派イワシの山でトラックが轢きつぶすような状況であったという。 ちなみに記事中では一貫してイワシは「鰮」と表記している。 魚油は35,000缶と前年の9,500缶に比べて4倍近くなり、肥料に使う〆粕も前年の5割増し… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 1日 1939 けふ閉伊川の鮎漁解禁!(S14.7.1新岩手日報) 閉伊川の鮎漁は、東京方面でも知られていたと言う。 その鮎漁が解禁されると言うことで、小さくではあるが報じられていた。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 12日 1936 津軽石川の川開きでサケ大漁(昭和11年1月12日) 昭和11年1月12日の読売新聞夕刊より。 南部鼻曲がり鮭の名所である津軽石川で川開きが行われ、サケが大漁であったことが一面写真で報じられている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 11日 1934 釜石沖にクラゲの大群 昭和9年2月11日のよみうり少年新聞より。 「岩手県釜石沖では~」という書き出しで始まっているこの記事は、この近辺で漁が思わしくないことを解説している。 岩手県水産試験所で調査したところ、これは数十年来見なかったクラゲの大漁浮遊であることが判明したという。 記事にいわく「まるで無数のパラシュートが潮… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 2日 1933 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) この時期の遠洋漁業の発展に、県内唯一の水産学校であった宮古水産学校の同窓会「二八会」も助力することを誓う。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 1日 1930 宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 令和の今でこそ宮古港はサンマなどで知られるが、この当時の記事の書きぶりによれば「宮古港漁業家が唯一の生命とする鰹漁」とある。 カツオというと高知や枕崎など、南の方の魚というイメージが強いが、実際に水揚げ日本一の漁港は気仙沼港であったり、県内でも今なお岩手日報で大船渡… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1929 釜石で横行する船舶部品泥棒(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 改修のため須賀海岸に引き上げてあった漁船が、シャフト等の機械が何者かに窃取されていた。 実は、この手の漁船の部品の盗難は昭和2年ごろから頻繁に行われていたようで、このように引き上げてある漁船はほとんどがその盗難にかかっていたと言う程であった。 ひどいものになると、鋭… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 8日 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む