鉄道・軌道

花巻駅のラッシュアワー f花巻・稗貫郡

花巻駅のラッシュアワー

昭和27年9月19日の岩手日報より。 花巻駅のラッシュアワーは、上り(盛岡方面)が6:04、下り(一ノ関方面)が6:44到着で、通勤・通学者は上りが450名、下りが1640名であるという。 そのすべてが花巻駅で乗るわけではなく、釜石線から640名、温泉電車から810名が乗り換えるという。 花巻始発で…
キャベツ・さんまの輸送シーズンに貨物列車増発(昭和27年9月16日) l全県

キャベツ・さんまの輸送シーズンに貨物列車増発(昭和27年9月16日)

キャベツなどの秋野菜、サンマなどの秋魚、そして冬に向かって木炭などの輸送の為に、盛鉄局では昭和27年10月1日~12月末の間に、貨物列車を増発することを9月16日に決定した。 内訳は以下の通り。 東北本線 3往復 八戸線 1往復 大船渡線 1往復 10月~12月までの間、現在の出荷量より以下の増加が…
貨物列車が盛岡駅に到着したら後ろ12両貨車が無い!? a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨物列車が盛岡駅に到着したら後ろ12両貨車が無い!?

昭和27年2月25日の18時45分、青森発大宮行きの貨物列車が14分遅れで盛岡駅に到着した。 そうしたところ、連結されているはずの貨車の後ろ12両が無くなっているではないか! 調べてみたら、その12両は滝沢駅にあった。 何者かが意図的に連結器を外したに違いない。 事件は盛岡警察署に連絡され、捜査が始…
仙鉄局の新しい社宅 m県外・参考

仙鉄局の新しい社宅

昭和27年2月14日の河北新報より。 岩手県のニュースではないが、当時の最新鋭の住宅事情について触れているので。 仙石線の榴ヶ岡駅前に国鉄の社宅が完成した。 この当時、仙台には鉄道公舎が400世帯分あったと言う。 しかし、そのほとんどが築30年以上も老朽化したものであったと言う。 それで、前年から新…
仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日)

昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。    …
橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日)

昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。 現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。 昭和19年1…
列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日)

昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め…
盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅で小荷物の中にヤミ米

昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。   終戦から6…
山田線の山岸駅が実質的開業へ(昭和26年3月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山田線の山岸駅が実質的開業へ(昭和26年3月13日)

昭和26年3月13日の「夕刊いわて」より。 大正12年に山田線が上米内まで開業してからというもの、山岸にも駅を解説してほしいという要望は持ち上がっていた。 これが昭和25年12月に山岸中学校の正門向かいに簡易停車場として上下2列車が停車することになった。 そして、年が開けて昭和26年1月からは上下各…
大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日)

昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校)    …
釜石線全通(昭和25年10月10日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石線全通(昭和25年10月10日)

昭和25年10月10日、釜石線が全通。 釜石製鉄所専用軌道線。昭和33年ごろ(岩波写真文庫279「岩手県」より) この当時で「岩手県第2の都市」であった釜石市は、「鉄道による外部との連絡」という点においては非常に貧弱であったと言っても過言ではない。 たしかに国鉄は山田線昭和14年に釜石まで全通してい…
国鉄加賀山総裁が盛鉄局長室で会見「山田線復旧はどうなる?」(昭和25年10月9日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄加賀山総裁が盛鉄局長室で会見「山田線復旧はどうなる?」(昭和25年10月9日)

国鉄の加賀山之雄総裁は昭和25年10月9日10:58、盛岡駅到着の列車で釜石線開通行事のために盛岡に来る。 昭和25年10月10日岩手日報より 9日11時からは、盛岡鉄道管理局長室で記者会見に応じた。 山田線復旧計画に変わりはない。治山治水工事の実態を理解してから。 26年度予算には計上するには至っ…
国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日)

昭和24年9月23日の岩手新報より。 公共企業体となった日本国有鉄道は、機構改革に乗り出すという。 仙台鉄道局盛岡管理部は廃止が伝えられている。 しかし岩手県は広いのだ。 むしろ鉄道局を設置してほしいと、盛岡市長や市議会議長が連名で鉄道局設置の陳情を国鉄に送った。  …
小さな駅は廃止しますよ!(昭和24年9月3日) d宮古・下閉伊郡

小さな駅は廃止しますよ!(昭和24年9月3日)

昭和24年9月23日の岩手新報より。 この年の6月1日に発足した日本国有鉄道は、それまでの「鉄道省」というお役所ではなく独立採算制の公共企業体となり、採算を考えなければならなくなった。 それで、人員だけではなく採算の取れない小さな駅を廃止することになった。 その基準は乗降客50人、発着小荷物4トン、…
国鉄の首切り計画でサンドイッチマン現る(昭和24年7月9日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄の首切り計画でサンドイッチマン現る(昭和24年7月9日)

昭和24年7月9日の岩手新報より。 国鉄は人員削減計画を発表し、それは盛岡管理部でも例外ではなかった。 東京では総裁が殺されたか自殺したか、謎の死を遂げている。 そんな中、盛岡工事事務所の組合分会員は、盛岡市内にサンドイッチマンを繰り出し、前年昭和23年にアイオン台風で崩壊した山田線の路盤の写真を大…
昭和24年9月15日のダイヤ改正では旅客サービスが良くなりますよ!(昭和24年9月1日) l全県

昭和24年9月15日のダイヤ改正では旅客サービスが良くなりますよ!(昭和24年9月1日)

昭和24年9月1日の岩手新報より。 国鉄では9月15日からダイヤ改正を行うという。 そのダイヤ改正の眼目は、日本国有鉄道が発足し、戦中の貨物列車中心のダイヤから、旅客サービスを中心としたものに変わるということ。 Wikipediaにも、独立して以下のような項目がある。 盛鉄管内でも、通勤者に優しくな…
釜石線工事の土倉トンネルが貫通(昭和24年7月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石線工事の土倉トンネルが貫通(昭和24年7月26日)

釜石線は西線と東線を結ぶ平倉~陸中大橋の工事が進められていた。 その最大の難所である土倉トンネル(平倉~上有住)は、昭和24年7月26日9時55分に国鉄盛岡工事事務所長の発破で貫通することとなった。   この瞬間を録音するために、NHKの録音班も、素掘りの構内に配線を行った。 即席の祭壇に…
東北本線・盛岡~厨川間で通信線切断事件(昭和24年7月17日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

東北本線・盛岡~厨川間で通信線切断事件(昭和24年7月17日)

行政整理による盛岡管理部管内2052名の首切りが発表され、東京の国鉄本社でも下山総裁が謎の死を遂げた。 そのような中、7月17日に日が変わった深夜2時45分ごろ。 盛岡駅にはそろそろ上野行きの上り216レが到着する頃だ。 隣の厨川駅に216レが出たかどうか確認しよう。 この写真は天昌寺のあたりらしい…
国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」(昭和24年7月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」(昭和24年7月2日)

吉田首相の行政整理の方針に基づき、盛岡管内でも2052人の首切りが発表されることになった。 それで、国鉄労組盛岡支部の本部には「断固職場を死守せよ」と、2日の朝から組合旗が掲げられることになった。 闘争本部では、整理発表の当日の20時30分に本部指令を出し、傘下35分会に闘争指令を発した。 これに対…
国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日) m県外・参考

国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日)

昭和24年7月1日の岩手新報より。 政府は、国鉄の人員整理を決めていたが、その基準を下山国鉄総裁と、組合側の代表との会見で話した。 国鉄の業務に対しどの程度協力したかを最大の基準として、各所属長の責任で認定させる 優劣をつけがたいものは、勤続年数によって算出された一定の順位によって優劣を分ける。 &…
国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日)

昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員…