c久慈・九戸郡 10月 24日 1957 久慈高校水産部製造科3年生は引っ張りだこ(昭和32年10月24日) 昭和30年10月24日のデーリー東北より。 久慈高校水産部製造科の3年生は、都内の各会社に引っ張りだこで、全員就職の見込みであったと言う。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 12日 1957 久慈で郵便友の会の結成式に東北郵政局長まで臨席(昭和32年10月12日) 昭和32年10月11日のデーリー東北より。 久慈で初めての「郵便友の会」が、久慈高校・久慈中学校・長内中学校を中心に結成されることになり、10月12日13時から久慈中学校で結成式が開催され、東北郵政局長までが臨席するという。 その席上、久慈海岸や小袖海岸などの観光地宣伝もするのだという。 中学生や高… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1957 盛岡市内一周継走は一般が松尾鉱山B、高校は福岡高校が優勝(S32.4.22岩手日報) 盛岡市内1周継走が行われ、一般の部は松尾鉱山Bが、高校の部は福岡高校が優勝したと言う。 … 続きを読む
l全県 4月 1日 1957 昭和32年、新たに開校した学校 昭和32年4月1日の岩手日報より。 岩手県内で新たに開校した小・中学校は以下の通り。 ・盛岡市立中津川小学校 2学級 40名 ・和賀町立笠松小学校 6学級 221名⭐ ・田老町立田老第三小・中学校 4学級 106名 ・福岡町立根森小学校 2学級 63名 ・姉帯村立面岸小・中学校 4学級 113名 ・… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 20日 1957 盛岡市内学校案内(昭和32年2月20日) 昭和32年2月20日の河北新報岩手版より。 盛岡市内の学校案内。 生活学園は後年の盛岡大学付属高校、久保学園とは後年の盛岡女子高校から盛岡誠桜高校。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 16日 1957 部活勧誘を拒否した1年生に暴力沙汰(昭和32年1月16日) 昭和32年1月16日の岩手日報より。 盛岡一高で、ラグビー部やスケート部への勧誘を拒否した1年生に暴力を振るうという事件が発生し、警察沙汰となった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 8日 1956 酔っ払いの弁護士(69歳)が街頭募金の少女に殴りかかる(昭和31年5月8日) 昭和31年5月9日の岩手日報より。 5月8日の昼下がり、盛岡の中心街・大通3丁目で仙北中学校の女生徒が「白い羽根」の赤十字募金を募っている。 そうすると、酔っ払った老人が「子供たちに募金させてるのは誰だ!」と、その女生徒に殴りかかったのだ。 それを見た通行人が慌てて引き離したが、興奮した老人は女生徒… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 25日 1956 高校野球春の布陣(沼宮内高校・橘高校)(S31.4.25岩手日報) 春の高校野球県大会に挑むチーム紹介。 今回は沼宮内高校と橘高校。 橘高校とは令和6年現在の江南義塾盛岡高校。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 20日 1956 花巻と水沢に私立高校誕生(S31.4.20岩手日報) 花巻と水沢に私立高校が誕生する。 それは「花巻商業高校」と「水沢女子高校」である。 両校とも令和6年現在現存し、それぞれ花巻東高校と水沢第一高校となっている。 そう、大谷翔平を生み出したあの花巻東高校は、この時に誕生したのである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 8日 1956 東大に何人入ったか 「週刊読売」昭和31年4月8日号によれば、岩手県内からの東大合格者は以下の通り。 盛岡一高 3名 一関一高 3名 花巻北高 2名 釜石高 1名 ちなみに全国でのランキングは以下の通り。 日比谷高 96名 小石川高 73名 西高 63名 戸山高 58名 両国高 54名 麻布高 44名 新宿高 42名 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 17日 1956 金ヶ崎中学校の女教師「薪を盗んで隠すようなクソガキのいるクラスにはマイナス10度でもストーブを使わせません!(キリッ」 昭和31年3月17日の河北新報より。 胆沢郡金ヶ崎町の金ヶ崎中学校のあるクラスでは、2月6日に他のクラスからストーブ用の薪を盗んで天井裏に隠した事件が発生したのだという。 これに対し30歳の女教師は怒った。 「こんな悪い子たちにはどんなに寒くてもストーブは使わせません!寒いまま授業受けて!」 ところ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 8日 1956 盛岡文化服装学園と久保学園高校が合同で針供養(昭和31年2月8日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 盛岡文化服装学院と久保学園高校は合同で「針供養」を行った。 会場となった盛岡文化服装学園の講堂では、祭壇が設けられ、和尚さんの読経で供養の儀式が行われた。 これが終わってから、音楽会を開催し楽しい1日を過ごしたと言う。 文化服装学園か久保高かわからないが、生… 続きを読む
l全県 2月 4日 1956 公立高校の授業料を500円から600円に(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県教育委員会は、公立高校の授業料を500円から600円に値上げして、設備費用に充てることとした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 24日 1955 農村部の高校「うちは盛岡の学校の予備校じゃねえ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 西根町にある平舘高校では、1年生が退学して盛岡の有名校を再受験することに頭を悩ませていた。 昭和22年4月に定時制高校として開校、昭和24年に全日制になったのだが、毎年定員100名に対し、二次募集までして70~80名集めるので精一杯。 それも年度途中になると「… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 23日 1955 昼は農耕の手伝い、夜はランプで授業 昭和30年11月26日の岩手日報より。 葛巻町の江刈中学校江刈川分校では本来17名の生徒がいるはずだった。 しかし、農作業の手伝いのために長欠している生徒がほとんどであった。 このため、教諭は生徒や部落民と話し合い、ランプで夜9時まで授業をすることに。 ちなみに、以下のページによれば、… 続きを読む
l全県 11月 22日 1955 岩手県内に欠食児童は6,000人! 昭和30年11月22日の岩手日報より。 日教組の岩手県支部である岩教組では、生活保障や給食対策などの基礎資料の為に、欠食児童の調査を進めていた。 そうしたところ、欠食児童は全体の2%に当たる6000名に上っていた。 地域としては下閉伊(宮古)、九戸(久慈)といった沿岸や県北に多かったという。 穀倉地… 続きを読む
l全県 11月 8日 1955 長欠、臨時免状教員… これが「辺地学校」の実態だ(昭和30年11月8日) 昭和30年11月8日の岩手日報より。 県教育研究所では、辺地学校についての調査結果を発表した。 【辺地学校数】 小学校 ・・・ 776校中278校(35.8%) 中学校 ・・・ 386校中114校(29.5%) 合計 ・・・ 1062校中392校(33.7%) 【免許状】 小学校 普通免許状を持つ教… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 3日 1955 遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この頃の岩手県においては、僻地で学校まで何キロも歩かなければいけない、農作業で忙しいなどの理由で長欠している生徒が多くいた。 特に、体が成長し一人前の働き手とみなされた中学生であればなおのことであった。 この遠野市大出もそのような地区であり、この地区の中学生は何… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 12日 1955 紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。 この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌… 続きを読む
c久慈・九戸郡 8月 10日 1955 村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 九戸郡九戸村では、まだ上水道が整備されておらず、飲用水は井戸水に頼っている状況であった。 伊保内中学校では、村の予算が無く、高台の耕地に建てられた校舎の隅に形ばかりの井戸を設けたのだという。 しかし、水面が地面と同じ高さとなり、雨が降れば下水からあふれた汚… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 23日 1955 一関一高で落第制度復活 昭和30年3月23日の岩手日日新聞より。 一面で「終戦初の落第制度実施 一高で落第生九人」という見出しで記事が出ている。 一関市の本社がある岩手日日で言う「一高」とは、盛岡一高ではなく一関一高のこと。 岩手県内では盛岡中学に次ぐ2番目の歴史を持ち、第一次安倍政権で「アベノミクス」を支えたという菅原郁… 続きを読む
m県外・参考 1月 29日 1955 仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日) 昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 仙台市内の学校入学案内があるが、ほとんどが裁縫学校。 平成以降であれば、裁縫学校とはファッションを仕事にする人のためのための学校となっているが、この時代であれば服地を何ヤール買ってミシンで作っていたであろうから、かなりの女性に需要があったのだろう。 &nb… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 1日 1954 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1954 この時期の不良少女の実例(昭和29年4月16日) 昭和29年4月16日の岩手日報より。 春になると誘惑が増えるので注意を呼びかけている。 特に女子は家庭裁判所に装置された後でも自分を曲げない頑固な例が多いという。 岩手県内の不良少女の例は以下の通りであるという。 盛岡のA子(19)。中学校の頃からスクエヤー・ダンスで4~5人の男と関係を持っていたと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 11日 1954 ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日) 昭和29年3月12日の岩手日報より。 この当時、学校教員が政治的なデモに参加し、教育が政治色を帯びたものになることが問題になっていた。 日教組は令和となった今以上になお政治色が強く、京都では旭丘中学問題というのがこの時点でなお解決していない状態であった。 それで、国会では教員の政治介入を禁じる「教育… 続きを読む
g北上・和賀郡 3月 11日 1954 黒沢尻女子高に商業科設置 昭和29年3月11日の岩手日報より。 黒沢尻女子高校では、この春から商業科を設置するのだという。 それで、新校舎も増築したという短いニュースである。 ちなみに、黒沢尻女子高校とは黒沢尻高等女学校がルーツの現在の北上翔南高校ではなく、現在の専大北上高校。後年、甲子園出場の常連となる専北はこの当時は女子… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 一関中学校で講堂建築資金の為に奇術と「三つの鐘」(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 一関中学校では講堂の新築に際し、PTAでは資金募集の為に、9月23日の秋分の日に奇術と「歌合せ三つの鐘」を開くことにしたという。 以下のような演目が予定されていたという。 坂本種芳(岩手県出身の奇術研究家、世界アマチュア奇術選手権保持者) 柳沢義胤(ラジオ東亰奇術… 続きを読む
hスポーツ 8月 25日 1953 三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 8月30日に一関小学校で開催される予定の「岩手宮城対県柔道試合」に審判長として来る予定であった三船久蔵十段は一関にいたことがある、ということを一関市柔道会長があきらかにしたという。 いわく、 三船十段は久慈で生まれたが、明治23年に小学校5年生の頃実兄の勤め先で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 20日 1952 松尾村の松尾中学校の新校舎が落成します!(昭和27年10月20日) 昭和27年10月19日の岩手日報より。 松尾村の松尾中学校の新校舎が竣工し、20日に竣工式典を挙げることになった。 グランドピアノや映写機も備え付けられており、文部省のモデルスクールに指定してもらおうといきごんでいる。 … 続きを読む