中等教育

遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置 e釜石・遠野・上閉伊郡

遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置

昭和30年11月3日の岩手日報より。 この頃の岩手県においては、僻地で学校まで何キロも歩かなければいけない、農作業で忙しいなどの理由で長欠している生徒が多くいた。 特に、体が成長し一人前の働き手とみなされた中学生であればなおのことであった。 この遠野市大出もそのような地区であり、この地区の中学生は何…
紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日)

昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。   この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌…
村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日) c久慈・九戸郡

村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日)

昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 九戸郡九戸村では、まだ上水道が整備されておらず、飲用水は井戸水に頼っている状況であった。 伊保内中学校では、村の予算が無く、高台の耕地に建てられた校舎の隅に形ばかりの井戸を設けたのだという。 しかし、水面が地面と同じ高さとなり、雨が降れば下水からあふれた汚…
「修学旅行怖い」と中止する学校続出 a盛岡・岩手郡・紫波郡

「修学旅行怖い」と中止する学校続出

紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校…
一関一高で落第制度復活 i一関・西磐井郡

一関一高で落第制度復活

昭和30年3月23日の岩手日日新聞より。 一面で「終戦初の落第制度実施 一高で落第生九人」という見出しで記事が出ている。 一関市の本社がある岩手日日で言う「一高」とは、盛岡一高ではなく一関一高のこと。 岩手県内では盛岡中学に次ぐ2番目の歴史を持ち、第一次安倍政権で「アベノミクス」を支えたという菅原郁…
仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日) m県外・参考

仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日)

昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 仙台市内の学校入学案内があるが、ほとんどが裁縫学校。 平成以降であれば、裁縫学校とはファッションを仕事にする人のためのための学校となっているが、この時代であれば服地を何ヤール買ってミシンで作っていたであろうから、かなりの女性に需要があったのだろう。 &nb…
川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) d宮古・下閉伊郡

川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報)

川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北…
この時期の不良少女の実例(昭和29年4月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

この時期の不良少女の実例(昭和29年4月16日)

昭和29年4月16日の岩手日報より。 春になると誘惑が増えるので注意を呼びかけている。 特に女子は家庭裁判所に装置された後でも自分を曲げない頑固な例が多いという。 岩手県内の不良少女の例は以下の通りであるという。 盛岡のA子(19)。中学校の頃からスクエヤー・ダンスで4~5人の男と関係を持っていたと…
ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日)

昭和29年3月12日の岩手日報より。 この当時、学校教員が政治的なデモに参加し、教育が政治色を帯びたものになることが問題になっていた。 日教組は令和となった今以上になお政治色が強く、京都では旭丘中学問題というのがこの時点でなお解決していない状態であった。 それで、国会では教員の政治介入を禁じる「教育…
黒沢尻女子高に商業科設置 g北上・和賀郡

黒沢尻女子高に商業科設置

昭和29年3月11日の岩手日報より。 黒沢尻女子高校では、この春から商業科を設置するのだという。 それで、新校舎も増築したという短いニュースである。 ちなみに、黒沢尻女子高校とは黒沢尻高等女学校がルーツの現在の北上翔南高校ではなく、現在の専大北上高校。後年、甲子園出場の常連となる専北はこの当時は女子…
一関中学校で講堂建築資金の為に奇術と「三つの鐘」(昭和28年9月4日) i一関・西磐井郡

一関中学校で講堂建築資金の為に奇術と「三つの鐘」(昭和28年9月4日)

昭和28年9月4日の岩手日日より。 一関中学校では講堂の新築に際し、PTAでは資金募集の為に、9月23日の秋分の日に奇術と「歌合せ三つの鐘」を開くことにしたという。 以下のような演目が予定されていたという。 坂本種芳(岩手県出身の奇術研究家、世界アマチュア奇術選手権保持者) 柳沢義胤(ラジオ東亰奇術…
三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日) hスポーツ

三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日)

昭和28年8月25日の岩手日日より。 8月30日に一関小学校で開催される予定の「岩手宮城対県柔道試合」に審判長として来る予定であった三船久蔵十段は一関にいたことがある、ということを一関市柔道会長があきらかにしたという。 いわく、 三船十段は久慈で生まれたが、明治23年に小学校5年生の頃実兄の勤め先で…
大学入試センター試験ならぬ「進学適性検査」(昭和27年10月5日) l全県

大学入試センター試験ならぬ「進学適性検査」(昭和27年10月5日)

昭和27年10月5日の岩手日報の広告欄より。 この当時、国立の新制大学を受験する人は「進学適性検査」を受けなければならなかった。 そのあたりの詳細は、以下のページに書いてある。 後年でいう共通一次試験、センター試験同様「国立大学受験者はこの試験を受けなければいけない」という性質のものであるようだが、…
教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日) l全県

教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日)

昭和27年10月4日の岩手日報より。 激戦地・一関市の最後のお願い。 戦後の民主化により、教育委員も公選制の時期があったのだが、なかなかのカオスな状況だったようである。 それで「最後のお願い」とばかりに、自転車だ、トヨペットだ、自動車だと演説に忙しい状況であった。 ちなみに「トヨペット」が自家用車の…
教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日) l全県

教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日)

昭和27年10月4日の岩手日報より。 「町も村も教育の総選挙」という見出しで写真記事が掲載されている。 何の選挙かというと市町村の教育委員の選挙である。 戦後の民主化で、教育委員も選挙で選ぶことになった。   しかしこの制度には弊害もあったようで、教育の現場に政治が持ち込まれるということで…
盛岡二高の教諭が生徒たちの輸血で快方に(昭和27年10月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡二高の教諭が生徒たちの輸血で快方に(昭和27年10月1日)

昭和27年10月1日の岩手日報より。 旧制の盛岡高等女学校が学制改革で改組された盛岡二高の3年B組の教諭は、小腸炎で入院したというが、輸血がなければ手術もできない状態であったという。 そこへ、担任するクラスの女生徒達が献血を申し出て、手術ができるようになったという。 教諭は非常に感激して感謝しか無い…
市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) l全県

市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日)

昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。     &nbs…
鵜住居中学校の校舎が近く完成(S26.1.31岩手新報) e釜石・遠野・上閉伊郡

鵜住居中学校の校舎が近く完成(S26.1.31岩手新報)

現在は「釜石鵜住居復興スタジアム」が建っている釜石市鵜住居は、昭和の大合併までは「上閉伊郡鵜住居村」だった。 その鵜住居村の中学校の新校舎が建設中であった。 この鵜住居中学校が箱崎中学校・栗林中学校と合併し「釜石東中学校」となるのは昭和49年のこと。…
公立高校の募集状況(昭和25年2月10日) l全県

公立高校の募集状況(昭和25年2月10日)

昭和25年2月10日の新岩手日報より。 公立高校の募集状況は以下の通りとなっており、応募定員が釣果したのはわずかに盛岡・一関の両校だけであったという。 ちなみに、当時の盛岡高校は商業科が分離されておらず、柏高校とは盛岡農業高校、高松高校とは盛岡工業高校のこと。    …