a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 15日 1965 早坂峠の秋(昭和40年10月15日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 盛岡と岩泉を結ぶ早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた。岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 この地域の農家の主食は100%ヒエだったそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 14日 1965 馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 11日 1965 仙岩峠の秋(S40.10.11岩手日報) 盛岡と秋田を結ぶ仙岩峠は、まだトンネルも開通しておらず急峻な山道であった。 そんな秋の表情を報じている。 … 続きを読む
m県外・参考 10月 9日 1965 風と観測機械の話(昭和40年10月9日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 そろそろ、冬の季節風も来ると言うことで、気象庁の観測機械の話題が出ている。 盛岡地方気象台ではなく、気象庁や気象研究所の人から話を聞いている。 … 続きを読む
l全県 10月 9日 1965 岩手でも蔓延る「睡眠薬遊び」(昭和40年10月9日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 この時期、若者の睡眠薬遊びやシンナー遊びが社会問題になっていたようだが、岩手でもそれは例外ではなかったようだ。 この記事では、その被害を説いている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1965 盛岡・中央ホールで「座頭市逆手斬り」「新鞍馬天狗」を公開(S40.10.8岩手日報) 盛岡で大映系の封切館となっていた中央ホールで「座頭市逆手斬り」「新鞍馬天狗」を公開するという。 「座頭市逆手斬り」は昭和40年9月18日公開で、出演は勝新太郎・藤山寛美など。 「新鞍馬天狗」は、昭和40年9月18日公開で、出演は、市川雷蔵・中村玉緒など。 このほか、10月20日から公開されると言う「… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10月 6日 1965 安代町・花輪鉱山小で季節はずれのプール開き(昭和40年10月6日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 安代町の花輪鉱山小学校では、待望のプールが完成し、季節外れのプール開きが行われた。 さすがに岩手県北の10月なので、を読む人はいなかったようだが、地域住民の喜びはひとしおだったようである。 また、記事全体がですます調になっているが、それは子供向けの記事だから。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1965 釜石タクシーは運転手募集(S40.7.2岩手東海新聞) 釜石タクシーでは運転手を募集していた。 月給29,000円で賞与は2回であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1965 盛鉄局各駅に釜石みなとまつりのポスター(S40.7.2岩手東海新聞) 釜石みなとまつりのポスターを東北本線・釜石線・山田線の各駅の待合室にあって、宣伝にこれ努めていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1965 釜石・大槌のサバ・オットセイ漁の成果(昭和40年7月2日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石や大槌のサバ・オットセイ漁の成果について振り返った記事を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 ボーナス商戦で釜石の空に何本もたなびくアドバルーン(S40.7.1岩手東海新聞) ボーナスやお中元で釜石市内の商店街は、アドバルーンを上げて待ち構えていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石製鉄所で異動のあった3課長はみな東大卒(S40.7.1岩手東海新聞) 釜石製鉄所で人事異動があり、秘書課長兼人事課長(39歳)、整員課長(37歳)、労働課長心得(35歳)はみな東大卒だった。 そして顔写真入りで紹介された時代。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石製鉄所構内で安全パレード(昭和40年7月1日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の構内では、雷雨の中を作業安全パレードが行われたようである。 どうも手前のマイクロバスは、県南バスから借りてきたような色にも思えるが、ナンバーが白なので自家用だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石魚市場でイカの樽詰め出荷始まる(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石魚市場で、イカの樽詰め出荷が始まったことを報じている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 2日 1965 盛岡専門店街では梓みちよショウ大売り出し(昭和40年4月2日) 昭和40年4月2日の岩手日報より。 「こんにちは赤ちゃん」で一躍スターダムにのし上がった梓みちよのショーに招待するという大売り出しが盛岡専門店会で展開された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 盛岡でタクシーの「流し」を許可の方向へ(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この当時、タクシーの「流し」は認められていなかった。 タクシーは営業所から乗せるか、あるいは電話で行くしかなかった。 しかし、この月の下旬からそれを認める方向で調整中であったと言う。… 続きを読む
l全県 4月 1日 1965 今年は天明以来の飢饉?(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この年は、天候が異常で「天明以来の飢饉になるのではないか」と恐れられていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 乳児死亡率ゼロのためには医師不足の解決も必要(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この時期、岩手県の乳児死亡率は全国最悪レベルで、社会問題となっていた。 そのためには、色々な問題があったが、ここでは医師の問題を取り上げている。 岩手医大でも、医師不足になる構造的問題があった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 岩手県内の小学1年生は2万8千人(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この年の岩手県内の小学1年生は、2万8千人であったという。 ちなみに、令和4年(2022年)の岩手県内の小学1年生は、8,464人であるという。(岩手県教育統計より) ちなみに写真は盛岡の中野小学校。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 昭和45年の国体開催は青森が岩手に譲歩(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 昭和45年の国体をどこで開催するか。 東北6件ブロック協議会では、青森が岩手に譲歩する形となった。 これで、「昭和45年岩手国体」が開催されることになったのである。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 1日 1965 花巻空港開港1周年を開港1周年を迎えて(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 花巻空港は開港1周年を迎えた。 とは言っても、まだまだ庶民の足ではなかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 5日 1965 釜石に丸光デパートの出現で商店街は微妙な表情(昭和40年3月5日) 昭和40年3月5日の岩手東海新聞より。 釜石に、仙台を本店とする丸光デパートが出現し、既存の商店街は微妙な表情になっている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1965 大槌町赤浜にオットセイ研究所(昭和40年3月4日) 昭和40年3月4日の岩手東海新聞より。 大槌町赤浜にオットセイ研究所が完成した。 これは、大槌町の予算で建設し、水産庁東海区水産研究所に貸し与えたもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1965 「釜鉄タワー」の建設始まる(昭和40年3月2日) 昭和40年3月2日の岩手東海新聞より。 当時の釜石のシンボルと言えば、釜石製鉄所の5本煙突であったが、その他に、転炉を建設するために駅前にタワーを建設することになったのである。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1965 釜石・大平公民館が近日完成(昭和40年3月1日) 昭和40年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石の大平公民館が3月7日に竣工するという。 大平というと、釜石駅の南側の釜石大観音がある方だが、こちらの方にも社宅が並んでいたらしい。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 2日 1964 大槌町では新巻鮭の最盛期(昭和39年12月2日) 昭和39年12月2日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭で知られる大槌町では、新年に向けて新巻鮭の最盛期となっていた。 … 続きを読む