備考※3a-2

釜石の人が見たベトナム美人(昭和41年3月4日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の人が見たベトナム美人(昭和41年3月4日)

昭和41年3月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人がベトナムに行ったようだ。 この時期はまさにベトナム戦争の真っ最中で、韓国が「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」と数々の師団をベトナムに送り込み始めた時期でもある。 この白土さんという人は、新聞記者か何かだろうか。 具体的に戦争に関する記述は無いが、女…
大槌・赤浜でスキワカメ新技術開発(昭和41年3月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌・赤浜でスキワカメ新技術開発(昭和41年3月2日)

  昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 三陸沿岸では、ワカメの養殖が盛んになってきたが、短冊状の「スキワカメ」を成形するにはなかなかの技術が必要であった。 それで、宮城県の石巻から技術者を呼ぶなどして講習していたが、大槌町の赤浜では、新しい技術でスキワカメを生成する技術を考案したのであ…
年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞)

年末年始の規制シーズン、釜石駅では盛岡鉄道管理局に、上野から直通の臨時列車を運行するようお願いしていた。 それが「第2陸中」で、1等車1両、2等車4両の5両編成であったという。 また、釜石線・山田線は自動閉塞化が進んでいたという。    …
山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) d宮古・下閉伊郡

山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日)

昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。  …
国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日)

昭和40年10月21日の岩手日報より。 昭和40年は、5年に1度の国勢調査の年であったが、その国勢調査を集めて、岩手県庁での点検作業が終わり、東京の総理府統計局に積み出す作業が前倒しで終了した。 他県では、徳島県と埼玉県で積み出し作業が終わったと言うニュースが入っており、このままでいけば、全国で3番…
早坂峠の秋(昭和40年10月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

早坂峠の秋(昭和40年10月15日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 盛岡と岩泉を結ぶ早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた。岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 この地域の農家の主食は100%ヒエだったそ…
馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。    …