l全県 21 9月 1959 岩手日産「車は生きている・・・」 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 日産自動車の販売の広告ではなく、県内各整備工場の広告。 「あなたが選ぶ車のお医者様岩手日産は、すぐれた技術と純正部品であらゆる車の故障をケロリと直します」 というキャッチコピーも千両である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 9月 1959 盛岡中劇で「恋の手ほどき」「親指トム」公開(昭和34年9月21日) 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 盛岡中劇で「恋の手ほどき」と「親指トム」を公開する。 「恋の手ほどき」(原題:GIGI)は米MGM制作のミュージカル映画で日本初公開は昭和34年6月13日。 「親指トム」(原題:Tom thumb)も米MGM制作でグリム童話の映画化。日本初公開は昭和34… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 9月 1959 テレビは岩手ナショナル月賦販売(株)の12回払いで!(昭和34年9月19日) 昭和34年9月19日の岩手日報の広告欄より。 この当時テレビは月給の何ヶ月分もする高い買い物であった。 前年に発生した信用金庫職員による一家殺人事件では、犯人の男は「月給は18,000円だよ」(本当は8, 000円)と見栄を張っていた。 そんな時代に、テレビは63000円だったのである。 それで、月… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 17 9月 1959 統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」 昭和34年9月17日岩手日報より。 県統計協会により小・中学生の統計図表コンクールが開かれ、応募75点のうち、小学生の部の知事賞は陸前高田・気仙小3年1組の「姉歯橋の交通調査」であったという。 姉歯橋は当時は国道45号線で陸前高田から気仙沼方面に出る時は必ず通る橋であったようである。 自家用車を「ト… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 9月 1959 サンマ加工労務者のために臨時列車を走らせます! 昭和34年9月17日の岩手日報より。 盛鉄局では、サンマ加工労務者や、通勤通学客のために臨時列車を走らせることにしたという。 山田線(9月22日〜10月31日、日祝を除く) 釜石6:38〜両石6:51〜鵜住居6:56〜大槌7:04 気仙沼線(9月16日〜10月31日) 陸前階上5:20〜松岩5:25… 続きを読む
j東磐井郡 17 9月 1959 興産相互銀行摺沢支店の新店舗オープン 昭和34年9月17日の岩手日報より。 東磐井郡大東町の興産相互銀行の摺沢支店の新店舗がオープンした。 新店舗は木造モルタルで2階建て。 昭和26年に興産無尽会社が興産相互銀行として発足し、これが北日本相互銀行となるのは昭和41年のこととなる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日) 昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。 大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。 一体なにごと…? 「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」 「6号車、異常ありません、どうぞ」 「3号車異常なしー、どうぞ」 そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田… 続きを読む
l全県 15 9月 1959 北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日) 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 (たまたま手元にあるのがこの日付の新聞であるというだけで、広告の掲載自体は9月15日の時点でしていた可能性はある) いわゆる「朝鮮人の帰国事業」についての広告。 日本と北朝鮮には国交がなく、両国の赤十字社を通じての帰国事業になったことは有名な話。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 12月 1958 国鉄盛岡工場で新製材工場 国鉄の盛岡工場は、これまで二枚橋派出所(現在の花巻空港駅)にあった製材関係の工場を、盛岡駅裏の本場に移し、一部作業をすでに始めているという。 これは経営の合理化によるもので、客車の床などに使用するのだという。 国鉄盛岡工場は敷地の狭さが悩みであり、それで作業場がタコ足で分散していたところ、盛岡市の協… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 12月 1958 岩谷堂小の新校舎が完成 昭和33年12月18日の岩手日報より。 江刺市の岩谷堂小学校は1月15日の火災で焼失し、岩谷堂中学校の特別教室の間借りや2部授業でしのいでいたが、このほど鉄筋コンクリート3階建ての校舎が完成した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 12月 1958 盛岡・東宝第一劇場で「弥次喜多道中双六」「おめでとう皇太子さま」公開!(昭和33年12月14日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場では「弥次喜多道中双六」と「おめでとう皇太子さま」を12月14日に公開するという。 「弥次喜多道中双六」は昭和33年12月7日の公開で、弥次喜多が大井川を渡り京へ着くまでを描く。 また、「おめでとう皇太子さま」も昭和33年12月7日の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機は12回払いで!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機はナショナル12回払いで!」と広告を打っている。 当時はこうした月賦販売の会社が県域であったのだろうか。 というか、掃除機って月賦で買わないといけないほど高いものだったの??? &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 呉服の亀半「Xマスも晴着!お正月も晴着!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 今でもラジオでやってるかどうかはわからないが〽呉服の亀半~ というサウンドロゴは知っている人が多いのではないだろうか。 呉服の亀半は令和3年現在でも肴町に店舗を構え操業130年になる老舗の呉服店であるが、このように折に触れ「晴着を着ましょう!」と宣伝し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 盛岡・中央ホールで大映「弁天小僧」「白鷺」公開(昭和33年12月14日) 昭和33年12月13日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールでは大映映画「弁天小僧」と「白鷺」を公開する。 「弁天小僧」は大映の製作で初公開は昭和33年11月29日。出演は市川雷蔵や勝新太郎。 「白鷺」もまた大映の製作で初公開もまた昭和33年11月29日。主演は山本富士子。元々は明治期に東京朝日新聞に連… 続きを読む
l全県 13 12月 1958 昭和33年の岩手県10大ニュース 昭和33年12月13日の岩手日報によれば、「読者が選んだ県内十大ニュース」は以下の通りであったという。 国鉄職員ら6人が八幡平で遭難(560票) 盛岡で一家3人殺し(511票) 台風21・22号大荒れ(474票) 農民の父、国分謙吉翁死去(431票) 岩教祖の勤務評定反対闘争(424票) 四十五年来… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 12月 1958 これがディーゼル準急に使われる「キハ55」だ!(昭和33年12月9日) 昭和33年12月9日の岩手日報より。 翌年から、盛岡〜福島に運行が予定されているディーゼル準急「くりこま」に使用されるキハ55というディーゼルカーが盛岡客貨車区に到着した。 クリーム色に赤い線というスマートな車体で、自動暖房装置が付いているという快適な車内である。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 5月 1958 盛岡・東宝第一劇場で「太鼓たゝいて笛吹いて」封切!(昭和33年5月21日) 昭和33年5月20日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場で「太鼓たゝいて笛吹いて」を封切する。 初公開は5月13日なのでタイムラグは1週間程度。 出演は宮城まり子や三木のり平。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 5月 1958 束稲山でツツジ祭り 昭和33年5月20日の岩手日報より。 平泉町と前沢町の境の束稲山は、ツツジ祭りで多くの観光客で賑わった。 写真はフォークダンスを楽しむ若者。… 続きを読む
j東磐井郡 20 5月 1958 僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 5月 1958 「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映 昭和33年5月20日の岩手日報では、盛岡国劇で「戦場にかける橋」が封切になる旨の広告が出されている。 「戦場にかける橋」は言うまでもなく1957年英米合作の戦争映画で、収容所長役の斎藤大佐役を演じた早川雪洲はアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 日本での初封切は前年1957年の12月22日で… 続きを読む
l全県 20 5月 1958 にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 連載されている漫画「にたもの親子」では選挙について扱っている。 5月22日には第28回衆議院議員総選挙が予定されていた時期であった。 乞食のようなボロボロの男も投票所へ行く。 そして問わず語りにいわく「あたしが投票した人は正直でウソを言わぬ人」。 ・・・と思った… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 5月 1958 水沢女子高の教諭が関東以北で初めてのオランダミミナグサを発見(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 植物研究家でもある水沢女子高の教諭が、水沢警察署裏の北常盤踏切で「オランダミミナグサ」を発見したという。 このオランダミミナグサは、本来はヨーロッパにだけ生えている雑草であるところ、戦後は東京や横浜でも存在が確認されていた。 これは、戦後になってヨーロッパとの貿… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 5月 1958 第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など 昭和33年5月20日に岩手日報に掲載佐された選挙広告より。 椎名悦三郎(自):後年まで知れた大物議員。水沢市出身。この選挙の翌年、岸内閣で官房長官となる。その後の池田内閣でも通産大臣や外務大臣を務める。 千葉七郎(社):東磐井郡千厩町出身。この選挙では落選するが、昭和38年の第30回衆議院選挙で当選… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1958 第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝 昭和33年5月18日の岩手日報より。 22日に投票日を控え、県選挙管理委員会では公明選挙を訴え、県公会堂の前でアドバルーンを上げることに。 また、記事では棄権を無くすように訴えている。 この頃から「選挙で何も変わりはしない」と斜に構えたニヒリストはいたようである。 また、「20」を「廿」で表記するの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1958 6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日) 昭和33年5月18日の岩手日報の広告欄より。 三波春夫が盛岡体育館に来るという。 今でこそ盛岡でコンサートがあるといえば岩手県民会館(昭和48年竣工)か、盛岡市アイスアリーナ(平成元年竣工)が相場になっているが、当時は盛岡体育館(昭和32年竣工)だったようである。 この当時、三波春夫がどんな歌手であ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 17 5月 1958 鈴木善幸の選挙広告 昭和33年5月22日の第28回衆議院選挙に先立ち、5月17日の岩手日報に掲載された鈴木善幸の選挙広告。 当時の選挙区は、氏の出身地である下閉伊郡山田町も含めた岩手県の北半分が岩手1区であった。 鈴木善幸の初当選は、意外なことに昭和23年に社会党からの当選となっているのである。 当時はアイオン台風から… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 5月 1958 ナイトスポット「ソシュウ」オープン 昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 26 4月 1958 花巻電鉄に新車導入 昭和33年4月26日の岩手日報では、「温泉郷結ぶ近代車」として、花巻電鉄に新車が導入されたことを報じている。 岩手日報(昭和33年4月26日)より 新たにお目見えしたのは、日本車両で製造されたのだという。 現在、花巻市材木町公園に保存されている「馬面電車」と違って、さほど幅の狭さは目立たない。 この… 続きを読む