a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 17日 1954 盛岡駅前に新交番 昭和29年4月17日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の都市計画の一つとして、盛岡駅前の広場が拡張し、盛岡駅前に新交番が完成したとのこと。 総工費は49万5千円。 建坪8.16坪で木造2階建て。 防火モルタル張りでクリーム色のモダンな建物。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 17日 1954 県庁に「メイル・ボーイ・システム」 昭和29年4月17日の読売新聞岩手版より。 県庁では「メイル・ボーイ・システム」を採用するのだという。 どういう制度かというと、1日4回、6人のメイル・ボーイを回らせて各課の文書を集配し、事務能率を向上させるのだという。 そのためのボックスが近く各課に配置されるのだという。 幅は2尺(60cm)、奥… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1954 山形県から山伏姿の観光キャラバン 山形県の庄内から、山伏姿の観光キャラバンの一行41名がバス3台に分乗して盛岡までやってきた。 庄内観光協会の一行は盛岡の松屋デパート前や教育会館前で出羽三山の山伏勧進や湯田川温泉の神楽、庄内美人のおばこ舞を披露した。 盛岡市観光協会では歓迎の花束を贈ったという。 昭和29年4月17日読売新聞岩手版よ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 16日 1954 ウニは魚市場を通さず直接取引で 昭和29年4月16日の読売新聞岩手版より。 ウニの採取は釜石湾の初夏の風物詩であったという。 4月1日が口開けで、11日から水揚げされたが浜相場はカラ付きで70~80円であったという。 この年から、ウニの採取者が零細漁民であるということから釜石魚市場を通さず直接販売が認められ、漁民は大喜びだったとい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 10日 1954 宮古魚市場で3貫500匁の大マス 宮古魚市場で、体重3貫500匁という大マスが水揚げされ、5,000円で売れたという。 ちなみに以下のサイトによれば、3貫500匁とは13.125kgのことらしい。 昭和29年4月12日読売新聞岩手版より。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 12月 16日 1953 へき地教育の過酷な現実 昭和28年12月16日の読売新聞では、全国のへき地教育の過酷な実態を報じている。 降水で丸木橋が渡れなくなると荷物用のケーブルで通学する(群馬県中里中) 山道が険しいので冬季の通学は部落民が交代で提灯を持っていく(岐阜県) 通学路は波が引いたときに数百メートルを命がけで走る(青森県脇野沢村) 子供が… 続きを読む
l全県 5月 18日 1953 昭和28年に岩手県内で売っていた自動車の広告 昭和28年5月18日の読売新聞岩手版に掲載された広告より。 四輪車もさることながら、オート三輪やバイクの広告が目立つ。 日産 ダットサン デラックスセダン ダットサン スリフトセダン 日本内燃機 サンカ― トヨタ トヨペットトラック ホンダ ドリーム号E マツダ CTL(?) エーブ自動車工業 エー… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 18日 1953 下閉伊郡の漁場ではブリ・マグロの最盛期 昭和28年5月13日の読売新聞岩手版より。 下閉伊郡沿岸の漁場ではブリ・マグロの最盛期となっていた。 重茂村漁協の根滝漁場では30~40貫内外の大マグロが2~3本ずつ漁獲したほか、1貫500匁という大きなブリも水揚げされたという。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 5日 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む
j東磐井郡 3月 4日 1953 やきもちで風呂に漆を入れる復讐(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 3月4日、千厩地区警察署では、薄衣村の農業の54歳の男を逮捕した。 これは、親しくしていた47歳の女性が、同じ村の64歳の農業のところで働いているのを見て、前月の26日に、やきもちからその64歳の男性の家の風呂に漆の皮を入れて、この家の家族5名に3週間のうる… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1953 江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 3日 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
l全県 3月 3日 1953 ローカルラジオ番組案内(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 岩手版の隅では、ラジオ番組の案内を掲示している。 ところが、岩手版であるにもかかわらず、JOIR(仙台放送局)の番組がメインになっており、JOQG(盛岡放送局)の番組はほとんどないに等しい。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3月 2日 1953 綾里村で2歳の子が急性アルコール中毒で死亡(昭和28年3月2日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 気仙郡綾里村のある農家で、2歳の女の子が突然苦しみだし、ついには死んでしまった。 死因を調べたところ、前の日の夜、父親が飲んでいた焼酎をそのままにしていたものを誤って飲んだらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1951 盛岡から公務で出張上京中に野球見てたら自動車が当たっちゃった 昭和26年3月14日の読売新聞(本紙)より。 盛岡市内の公務員が、公務出張で上京したついでに後楽園の松竹-大映戦を見に行ったのだという。 そうしたところ動物病院設置資金募集のためのくじをやっていたのだという。 400円程度の入場料で1500ドルの英国車・ヒルマンミンクスが当選するというので満場の観客… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 4日 1951 明治37年に誘拐されて東京に売られ47年ぶりの再会 昭和26年1月4日の読売新聞夕刊より。 9歳の頃、岩手県内で誘拐されて東京府三鷹市内の農家に売られ、その後女中奉公などを転々として結婚し、現在(その時点)では都下北多摩郡神代村で3人の子供の母親となっていた56歳の女性が、岩手県内各市町村に依頼して肉親捜しをしていたところ、水沢町助役などの尽力で、5… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 18日 1938 自治制発布50年記念式典で全国の町村長の総代として上閉伊郡金沢村長が挨拶 昭和13年4月18日の読売新聞より。 明治21年(1888年)に町村制が発布され、昭和13年で50周年を迎えることとなった。 そこで、内務大臣の招待を受けた69町村、個人352名の総代として、明治25年から46年の長きにわたって村長の座にあった、岩手県上閉伊郡金沢村の兼沢福次郎村長(77歳)が挨拶を… 続きを読む
m県外・参考 11月 8日 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 12日 1936 津軽石川の川開きでサケ大漁(昭和11年1月12日) 昭和11年1月12日の読売新聞夕刊より。 南部鼻曲がり鮭の名所である津軽石川で川開きが行われ、サケが大漁であったことが一面写真で報じられている。 … 続きを読む
l全県 2月 8日 1935 凶作だった東北6県でなぜか郵便貯金の総額が増加 昭和10年2月8日の読売新聞より。 前年は東北6県は凶作であった。 しかし、仙台貯金支局で発表したところによると、昭和10年1月末現在の貯金額は160,837,346円(+2,154,451円)、人員は2,948,913人(+17,500人)であったという。 もともと東北地方の貯金は貧弱であったとこ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 11日 1934 釜石沖にクラゲの大群 昭和9年2月11日のよみうり少年新聞より。 「岩手県釜石沖では~」という書き出しで始まっているこの記事は、この近辺で漁が思わしくないことを解説している。 岩手県水産試験所で調査したところ、これは数十年来見なかったクラゲの大漁浮遊であることが判明したという。 記事にいわく「まるで無数のパラシュートが潮… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1932 花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) 昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 8日 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 14日 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む