c久慈・九戸郡 5 1月 1956 野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。 そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。 そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。 その箱は、スリットを作り中身… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1956 安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! 昭和31年1月4日の岩手日報より。 この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。 それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。 犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。 明… 続きを読む
l全県 4 1月 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 3 1月 1956 新生活運動の正月(昭和31年1月3日) 昭和31年1月3日の河北新報より。 昭和31年の正月は、「新生活運動が根付いたためか」松飾りはほとんど無く、日本髪の女性もほとんどいなかったのだという。 ただし、県内各地の神社では初詣の人出が過去最高になった所もあったという。 翌2日は、初売りの車が県内各地で走り回っていたという。 写真はどこの初売… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1956 岩手山麓にジャージー種が導入されて3年目 昭和31年元旦の河北新報より。 農林省は、昭和28年に岩手山麓を「集約酪農地域」に指定して、ジャージー種の乳牛を導入することとした。 その第1陣がニュージーランドから到着したのは12月のことで、最初は35頭、昭和29年3月までに259頭、昭和29年度には271頭が導入され、川口・巻堀・渋民・大更・田… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1956 国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報岩手版より。 釜石製鉄所の昭和30年の輸出総額は16万トンで70億円であった。 新春そうそうの1月2日には、日本商船の興名丸(7000トン)が釜石に入港し、アルゼンチン向けにスラブやビレットを積み出すという。 また、松岡開運の松福丸(6890トン)もまた、アルゼンチン向けにビ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 12月 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む
b二戸・二戸郡 2 9月 1955 県北ではヒエが豊作(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 県北では特産のヒエ刈りが始まった。 県北の全耕地の3割(2700町歩)を占めるヒエは2年続きの冷害であったが、この年は32000石はとれるという予想であった。 写真は浄法寺にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1955 岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 岩手町のキャベツは、普段であれば9月に出回っていたところ、この年は夏蔬菜が早く終わってしまい値が良いので、8月下旬には出回るようになり、貨車が足りないほどであったという。 ここ数年は冷害であったが、この年は豊作であったという。 1俵(6貫)で、大阪300円、… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 27 8月 1955 大船渡港近くの飲み屋が「カンバンだよ」と断ったらカツオ漁師に袋だたき(昭和30年8月27日) 昭和30年8月28日の河北新報岩手版より。 8月26日から27日に日付の変わった頃のこと。 三重県三木浦港からはるばる大船渡港まで入ってきたカツオ漁船の漁師が、港に近い飲み屋に入ろうとした。 店の親父は「悪いね。もうカンバンなんだよ」 「何だと!?」「何だとでねえこのー?」 口論になってしまい、しま… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 8月 1955 盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) 昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 8月 1955 マグロやメカで埋まる豊漁の釜石港(昭和30年8月25日) 昭和30年8月25日の河北新報岩手版より。 釜石港の沖合のスルメ、鯖、マグロ、メカ漁は最盛期に入っており、水揚げ高は700~800万円にも達していたという。 8月22日は回来船や地元船のスルメやサバ船で43400貫あまり、金額にして900万円であったという。 ところで、ここで言う「メカ… 続きを読む
m県外・参考 19 8月 1955 仙台・藤崎デパートでは決算後大処分市(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 岩手版とはいっても河北新報なので、広告欄は仙台中心になっている。 仙台の藤崎デパートの決算後大処分市の広告で、当時の衣料品の価格が解ろうというもの。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 19 8月 1955 二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 8月 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 8月 1955 気仙の銘酒といえば酔仙(昭和30年8月13日) 昭和30年8月13日の河北新報岩手版より。 広告欄には酔仙酒造の広告が載っている。 陸前高田の酒造会社であり、岩手を代表する酒蔵でもある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 8月 1955 盛岡~陸前高田の直通バスは翌月実現か(昭和30年8月13日) 昭和30年8月13日の河北新報岩手版より。 この時点で、岩手中央バスが盛岡~遠野間に、国鉄バスが遠野~陸前高田に路線があった。 この2路線を統合して、中央バスと国鉄バスが盛岡から陸前高田までを通しで運行できるように陸運局に陳情をしていたのである。 これを受け、運輸省から担当者が来県し、実現近しとの見… 続きを読む
g北上・和賀郡 12 8月 1955 気仙沼花火大会と北上灯ろう流しに臨時列車(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 盛鉄局旅客課では、8月14日の気仙沼花火大会と、8月16日の北上灯ろう流しで以下の通り臨時列車を運行するという。 8月14日 574レ 気仙沼22:24~陸中松川23:56 8月16日 4711レ 北上22:02~陸中川尻23:13 467レ 北上21:0… 続きを読む
l全県 12 8月 1955 ラジオ岩手・NHK盛岡ラジオ番組案内(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 ラジオ岩手とNHK盛岡のラジオ番組案内が隅っこに載っている。 さすがの河北新報でもラジオ欄は岩手のもの。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 12 8月 1955 金田一温泉プールで第10回東北水泳大会(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 県北は金田一村の金田一温泉プールで、第10回東北水泳大会が開催された。 大会経費は24万円だそうで、この経費を稼ぐために大人30円、子供10円の入場料を取っていたという。 2日間で1万人の入場者があり、経費はトントンとのことだった。 金田一温泉プールはこの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 8月 1955 紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。 この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 10 8月 1955 花巻空襲10周年で全市民が黙祷(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 この10年前である昭和20年8月10日、花巻町は空襲被害に遭い、死者45名、焼失家屋673戸で盛岡・釜石に次ぐ被害となった。 この日は正午を期し、全市民が黙祷するという。 写真は花巻のメインストリートである上町通り。 勿論まだ花巻デパートもマ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 8月 1955 村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 九戸郡九戸村では、まだ上水道が整備されておらず、飲用水は井戸水に頼っている状況であった。 伊保内中学校では、村の予算が無く、高台の耕地に建てられた校舎の隅に形ばかりの井戸を設けたのだという。 しかし、水面が地面と同じ高さとなり、雨が降れば下水からあふれた汚… 続きを読む
m県外・参考 7 8月 1955 仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 同じ紙面では「仙台に負けまい」と盛岡で七夕が開幕したというニュースが報じられているが・・・ いくら盛岡で「仙台に負けない七夕を」と報じたとは言っても、しょせん河北新報は仙台の新聞である。 広告は仙台のものだし、七夕なら仙台の七夕なのである。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1955 胆沢地方事務所公金横領問題で辞職した県農政課長は葛巻町長に立候補(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 先に、県庁の希望退職で労組が「希望退職させるならまずは胆沢事務所の公金汚職問題の関係者を辞職させろ」と迫った問題で、直接関係は無かったにしろ当時の所長であった相良政行農政課長は辞表を提出するに至った。 相良課長は、当時の阿部千一知事に身の振り方を相談した。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 6 8月 1955 リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 リンゴは「夏の味覚」なのであったという。 本場の青森よりも減収が予想はされていたが、稗貫地方では平年並みの作柄であったという。 紅魁・旭などの早生はこの時期の収穫で、1貫あたり270~280円で市場に卸されたという。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 6 8月 1955 県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 戦前の知事官選制の時代にあって岩手県知事を6年勤めた石黒英彦により創設された国粋主義的農業教育施設「六原道場」は戦後、県立六原農場として再出発していた。 そしてこの時は、生産していた牛乳を北上市内で安く売るなどしていたようである。 このことに対し、北上市内の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1955 県では赤字財政のため希望退職を募集(昭和30年8月5日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 県では、赤字財政のために希望退職を募集していた。 9月末までに480名の減を予定していたが、実際に集まるのは300名ぐらいだと思っていたところ、何と7月までに辞表が295通に達したのである。 この調子であればもう50人追加で530名でもいけるだろうと目標を変… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 8月 1955 盛岡で「今年こそ仙台に負けまい」と七夕が開幕(昭和30年8月4日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 8月4日から、盛岡市内でも七夕まつりが始まった。 「ことしこそ仙台に負けまい」と気合いが入っていたのだという。 それで、大通りや肴町では車馬通行止めとなり、警官が総出で交通整理するなど大変な賑わいであったという。 大通りでは200店が参加し、七夕コンクールを… 続きを読む