備考※6h

岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日)

昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市に本社のある岩手民声新聞は、昭和37年の元旦号で1000号を迎えることになった。 そこで、岩手県の県域紙であ岩手日報も祝福の広告を出していた。   ところで、上の「富める国アメリカは殺人、狂人が世界一多いのである」という物騒な記述は、社会党か…
地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) h水沢・江刺・胆沢郡

地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日)

昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし…
前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) h水沢・江刺・胆沢郡

前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日)

昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内…
弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日) i一関・西磐井郡

弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日)

昭和35年7月17日の岩手報知より。 この当時、高速道路は「弾丸道路」と言われていたようで、インターチェンジも「停車場」と呼ばれていた。 その「停車場」の候補に、一関市厳美地区が候補に上がり、建設省の課長が視察に来たのだという。 ちなみに、東北自動車道の盛岡〜一関で部分開業するのは昭和52年のこと。…
一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) i一関・西磐井郡

一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日)

昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ…
一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日) i一関・西磐井郡

一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日)

昭和35年7月5日の岩手報知より。 この年の6月末、一関一高が放火で焼失した。 この時点では、犯人はまだ上がっていなかったので、一関市内の各町内会では夜警団を結成して警戒して歩くことになったのである。 そうすると、各町内の夜警団が、ヤアヤアと声を交わしている風景が頻繁となったのである。 そのたびに犬…
「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日) h水沢・江刺・胆沢郡

「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日)

昭和34年7月1日の岩手民声新聞より。 「チベット」と呼ばれていた上門岡に、県南バスが通ることになった。 これが、岩谷堂〜稲瀬〜上門岡に至る9.2キロの路線。 開通式は、江刺市長、北上市長、県南バス社長、県南バス江刺営業所長長など多数が出席して行われた。 海外にあたっては、上門岡部落の50戸の住民が…
江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日)

昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう…
江刺在住の正田家で奉公したことがある女性が皇太子妃美智子さまを語る(昭和34年4月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺在住の正田家で奉公したことがある女性が皇太子妃美智子さまを語る(昭和34年4月12日)

昭和34年4月12日の岩手民声新聞より。 このほどご成婚された皇太子妃美智子さまが正田家におられた頃、正田家で子守りをしていた女性が江刺市内に在住しているという。 それは江刺市玉里の亜炭鉱山で夫と3男1女と暮らしている36歳の女性。 宮城県生まれで、戦時中の19歳の時に兄の知人の世話で正田家に奉公す…
一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日) i一関・西磐井郡

一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日)

昭和34年4月11日の岩手報知より。 前日、皇太子殿下のご成婚があり、全国挙げての祝賀ムードだった。 しかし、一関市は特段の祝賀行事は行わなかったようである。 岩手報知新聞はこのことに対し、以下のように憤りを隠さない筆鋒で批判する。 ところで一関市の場合は慶祝的な行事は華道展位なものでその他は商魂た…
皇太子殿下ご成婚にあやかろうと4月10日は一関八幡神社では結婚式が10組も(昭和34年4月10日) i一関・西磐井郡

皇太子殿下ご成婚にあやかろうと4月10日は一関八幡神社では結婚式が10組も(昭和34年4月10日)

昭和34年3月30日の岩手報知より。 この年の4月10日には皇太子殿下のご成婚が予定されており、全国的に結婚ブームとなっていた。 一関でもその例にもれなかったようで、市内の一関八幡神社ではこの日に結婚式を予定しているのが10組、山目配志和神社では7組も申し込みがあった。 市内のデパートでも「ミッチー…
一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日) i一関・西磐井郡

一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日)

昭和34年4月4月の岩手報知より。 この日は一関の最高気温は十六度七分と今年の最高を示した・・・のだというが、この記事の見出しは「最高気温17度6分」で、一体全体17.6℃なのか16.7℃なのか判然としない。 また、盛岡地方気象台では4月3日15時に「異常乾燥注意報」を発表したようである。 ともかく…
花泉駅の4月の収入目標は250万円(昭和34年4月1日) i一関・西磐井郡

花泉駅の4月の収入目標は250万円(昭和34年4月1日)

昭和34年4月4日の岩手報知より。 東北本線花泉駅の旅客・貨物の4月の収入目標は250万円であるという。 その1日目にあたる4月1日は、73,000円であったという。旅客数は1,106人であったという。 4月は入学式、観桜会、修学旅行があり目標は楽に突破するであろうとみられていた。  …