山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報)
1927年3月15日
2025年7月29日
昭和2年3月7日に発生した「山陰大震災」——現在でいう「北丹後地震」に対し、岩手県内でも義捐金を募る動きが広がった。
同月15日付の『岩手日報』には、被災地支援のための義捐金募集広告が大きく掲載されている。
「亡くし難き眷族を失ひ、愛児を喪ひ、親夫に別れ、住む家なく食ふに飢え、寒さと飢と恐怖と戦ひ…」と、被災者の悲惨な状況を訴える哀切な文面が続き、読者の同情と支援を呼びかけている。
発起人として名を連ねたのは、岩手県知事・得能佳吉、盛岡市長・北田親氏、盛岡商業会議所会頭・金田一國士、さらに『岩手日報社』『岩手毎日新聞社』など、行政と民間の主要関係者たちである。
義捐金は一口一円以上を目安に、市町村役場などを通じて受付される形式であった。
ここで言う「山陰大震災」とは、実際には京都府北部を震源とする「北丹後地震」のことであり、豊岡・峰山を中心に甚大な被害を出し、死者は約3,000人にのぼる大災害となった。
このような呼びかけ記事からは、戦前期における新聞社の社会的機能、そして遠隔地の災害に対しても支援の手を差し伸べる日本人の共助意識が伝わってくる。