盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報)
1927年3月16日
2025年7月29日
昭和2年(1927年)3月、岩手県の最高学府として知られた盛岡高等農林学校で卒業式が行われた。『岩手日報』紙上には、教員と卒業生たちの記念写真が掲載され、厳かな式典の様子が伝えられている。
この学校は、旧制時代における農林系の専門教育機関であり、農政技術者や教員、研究者など多くの人材を世に送り出してきた。格式の高い教育機関として、地元のみならず全国各地から優秀な学生が集まり、盛岡の学術文化の中心を担っていた。
特筆すべきは、この盛岡高等農林学校の卒業生の中に、詩人・童話作家として知られる宮沢賢治がいることである。賢治は1915年(大正4年)に首席で入学し、寄宿舎「自啓寮」に入寮。入学式では総代として宣誓を読み上げるなど、早くから頭角を現していた。専門は土壌学で、部長・関豊太郎教授のもとで研究に励んだ。
在学中には後の文学活動にもつながる交友関係が育まれ、特に保阪嘉内との交流は有名である。1917年には同人誌『アザリア』を創刊し、短歌や短編を発表。1918年(大正7年)に卒業し、研究生として残ったのち、稗貫郡(現在の花巻市周辺)の土性調査を行った。ここでの経験は、のちの「羅須地人協会」設立や農民生活への強い関心へとつながっていく。
写真に写る学生たちの姿には、そうした時代を担った若者たちの息吹がある。卒業式は、彼らの新たな門出であると同時に、地域の未来を支える人材の旅立ちでもあった。
なお、盛岡高等農林学校は戦後の学制改革によって岩手大学農学部となり、現在もその伝統を受け継いでいる。