山田線の上米内〜区界が開通(S3.9.26岩手日報)

【鉄道史の1ページ】昭和3年、山田線が「北上山地」を越えた日。岩手日報から読み解く開通の熱狂

こんにちは。今回は、地域の歴史を物語る大変貴重な史料をご紹介します。
今から約100年前、昭和3年(1928年)9月26日付の「岩手日報」です。

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一面に躍るのは、「上米内―区界間 鉄道けふ開通式を挙行」の見出し。
盛岡から宮古へと続く「山田線」が、最大の難所である北上山地の分水嶺を越えた、まさに歴史が動いた瞬間の記録です。


1. 悲願の「山越え」!区界駅に響く歓喜の声

それまで盛岡と沿岸部を隔てていた険しい北上山地。上米内から区界までの区間が開通したことは、単なる延伸ではなく、内陸と沿岸を結ぶ「大動脈」としての第一歩を意味していました。

紙面に掲載された写真には、山あいの急勾配に挑む蒸気機関車(SL)の力強い姿が捉えられています。当時の最新鋭の技術が、この険しい自然を克服した証です。

2. 岩手の重鎮が集結した「国家的」祝賀式

この記事で最も注目すべきは、区界駅で行われた祝賀式の驚くべき規模と顔ぶれです。標高700メートルを超える山間の駅に、当時の岩手を動かす各界のトップたちが勢揃いしました。

  • 行政・鉄道の長: 岩手県知事、仙台鉄道局長
  • 教育・司法の重鎮: 盛岡高等農林学校(現・岩手大学)校長、盛岡地方裁判所長、盛岡地方検事局検事正

これほどまでに重厚な布陣が現地へ足を運んだ事実は、この鉄路が岩手県の近代化にとっていかに重要な「生命線」であったかを物語っています。

3. 峠に舞った芸妓たちの余興と華やぎ

式典は厳かなだけでなく、非常に華やかなものでした。なんと、盛岡宮古の両地から芸妓(げいこ)衆が駆けつけ、余興を披露して式典に花を添えたのです。

「内陸と沿岸、両方の芸妓が集まり、分水嶺で共に祝杯を挙げる――」

三味線の音色が険しい峠の風景を一変させたその瞬間は、まさに「山を越えて両地が結ばれた」ことを象徴する、最高潮の盛り上がりだったことでしょう。


4. 紙面から読み解く昭和初期の日常

山田線の開通記事の傍らには、当時の社会情勢を伝える興味深い見出しも並んでいます。

  • 大日本女子連合青年団の大会決定: 京都での開催を報じるニュース。
  • 「仙臺(仙台)全市にエビの中毒患者」: 現代でいう広域食中毒の騒動。
  • 「樺太真岡の大山火事」: 当時、日本領であった樺太の緊迫した情勢。

結び:100年の時を越えて繋がる鉄路

昭和3年に開通したこの区間は、その後も幾多の困難を乗り越え、現在も「山田線」として走り続けています。

特に上米内〜区界間は、現在も屈指の秘境区間として鉄道ファンに愛されていますが、この古新聞を開くと、当時の人々がどれほどこの鉄路に夢と希望を託したのかが鮮明に伝わってきます。

100年前の今日、この紙面を広げた岩手の人々の誇らしげな顔が目に浮かぶようです。

(読者の皆様へ)

現在の区界駅の静かな佇まいと、この当時の熱狂を比べてみるのも面白いかもしれません。もしお近くに行かれる際は、ぜひ100年前の祝宴に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


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