後藤新平死去(S4.4.14岩手日報)

【歴史資料】昭和4年、郷土の巨星・後藤新平伯の最期を伝える新聞

こんにちは。本日は大変貴重な歴史資料を共有します。今から約95年前、昭和4年(1929年)4月14日付の『岩手日報』夕刊です。岩手が誇る偉大な政治家、後藤新平伯の急逝を報じる当時の紙面を紐解きます。


■ 岡山への旅の途上、京都での客死

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記事の冒頭には、衝撃的な訃報が記されています。後藤伯は岡山へ向かう列車内で脳溢血を起こされました。急遽、京都駅で下車し、京都府立病院へ入院し加療を続けていましたが、4月13日午前5時30分、ついに帰らぬ人となりました。

「眠るが如く大往生」——側近や家族に見守られ、静かに息を引き取ったその様子が、当時の紙面から生々しく伝わってきます。

■ 地元・水沢が語る「少年時代からの片鱗」

今回の紙面で特に興味深いのは、地元関係者が語る後藤伯の素顔です。水沢町(現在の奥州市)学務委員の談話として、次のようなエピソードが紹介されています。

  • 「少年時代から雄弁家だった」
  • 幼少の頃からその知性と弁舌は際立っており、郷土の期待を一身に背負っていた。

後の「大風呂敷」と称される大胆な構想力と、人々を惹きつける説得力のルーツが、この水沢の地にあったことを再確認させてくれる貴重な記述です。

■ 斎藤實氏の哀悼と、少年団(ボーイスカウト)との絆

同じく岩手出身の重鎮、斎藤實氏も「實に感慨無量である」と深い悲しみのコメントを寄せています。また、紙面下部には、彼が初代総長を務めた少年団(ボーイスカウト)の団員たちの手によって遺骸が本邸に安置されたことも報じられています。

国家の近代化に尽力した政治家としての顔だけでなく、次世代を育てる教育者としての顔。その両方が、この一枚の紙面に凝縮されています。


■ おわりに

岡山への旅の途中で倒れ、京都で客死するという劇的な最期。そして、少年時代から変わらぬ雄弁さ。この新聞記事は、後藤新平という人間がいかに情熱的に、そして最後まで駆け抜けたかを教えてくれます。

皆様もこの画像を通して、当時の岩手の人々が感じた衝撃と、郷土の偉人への敬愛の念を感じ取っていただければ幸いです。


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