花巻高等女学校で弁論大会(S4.6.20岩手日報)

昭和4年の視点:花巻高女の弁論大会と「わきまえる」エリート女子の葛藤

付、岩手日報の記事より

「可愛い女學生がモガに痛棒」という構図

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昭和初期、花巻高等女学校(花女)で開催された弁論大会。その様子を伝える岩手日報の見出しには、現代の視点で見ると非常に興味深い言葉が並んでいます。
「可愛い女學生がモガに痛棒」

ここで批判の対象となっているのは、当時の新しい女性像である「モダン・ガール(モガ)」や、婦人参政権・男女同権を叫ぶ女性たちでした。


弁論の内容:表面的な「関心」への嫌悪

「私たちの通る道」と題して登壇した生徒は、当時の社会情勢を「騒々しい」と切り捨て、以下のように主張しています。

「労働問題、婦人参政権、男女同権といった言葉が、無暗に自由を要求する『新しい女』を多く生み出している。彼女たちは真の自覚によるものではなく、単なる『関心』や『物好き』で叫んでいる者が多い」

銀座を闊歩するフラッパー(奔放な若い女性)を「うすっぺらなもの」と断じるその口調からは、知的なエリートとしての自負が透けて見えます。

【考察】内面化された男性社会の規範

この弁論から読み取れるのは、当時の女子教育がいかに成功していたか、という皮肉な事実です。

  • 規範の代弁者: 彼女たちが「新しい女」を批判したのは、それが「良妻賢母」という国家的な理想から逸脱していたからです。男性社会が規定した「正しい女性像」を完璧に内面化し、自ら進んで秩序の守護者となっていたことが伺えます。
  • 「わきまえ」の論理: 権利を主張することを「物好き」と一蹴する姿勢は、既存の枠組みの中で賢く振る舞うことこそが「真の知性」であるという刷り込みの結果と言えるでしょう。
  • 構造的な分断: 自由を求める女性を、同じ女性が「浅はかだ」と叩く。この構図は、男性優位の社会構造を維持するために非常に都合の良い機能として働いていました。
約100年前の岩手で、若き才女たちが熱弁を振るった「正論」。それは、自らを縛る鎖を自ら磨き上げるような、痛ましくも真摯な姿だったのかもしれません。現代の私たちが彼女たちを笑えないのは、形を変えた「規範の内面化」が今もなお続いているからではないでしょうか。


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