立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報)
1929年9月5日
2025年7月29日
昭和4年9月5日の岩手日報に掲載されたニュースによれば、立川飛行場所属の陸軍機が厨川村の雫石川河畔に不時着するという事故が発生した。
この陸軍機は弘前から立川へ戻る途中だったが、厨川村上空で何らかの事情により飛行を続けることが困難となり、最終的には雫石川の高圧電線に接触。そのまま川の河原に不時着したという。幸いなことに、搭乗していた乗員は無事だったと伝えられている。
当時の厨川村は、現在の盛岡市の一部であり、雫石川沿いの河川敷という地理的条件から考えると、事故現場は現在のイオンモール盛岡の周辺であった可能性が高い。新聞には現地に駆けつけた軍関係者や見物人の姿も写真で紹介されており、地域の注目を集めた出来事であったことがうかがえる。
昭和初期の航空事情を知るうえでも貴重な記録であり、立川飛行場と東北地方との間で日常的に軍用機が往来していたことが分かるエピソードのひとつである。