盛岡に「航空少年団」(S5.3.1岩手日報)

昭和5年3月1日の岩手日報より。

昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がいた。

当時の陸軍の根拠地であった観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)には、彼が自費で設けた「伊東飛行場」が存在していたという。個人で飛行場を持っていたという点で、当時としては相当な情熱と財力が感じられる。

(詳細は以下のブログに詳しい)

この伊東氏が中心となって、市内の仁王・内丸・日影門・本町などの少年たち15名(年齢は10~18歳)を集め、「盛岡航空少年団」を結成するという記事が掲載された。

団員は「つばめ」「はやぶさ」の2班に分けられ、まずは航空に関する基礎的な知識を学ばせ、その上で適性のある者には、伊東飛行場で実際の航空術の教育も行うという意欲的な構想が語られている。

少年団盛岡連盟の松岡理事も、「航空義勇少年団というものは、わが国ではこれが初めてになるだろう。英・米・仏ではすでにこのような制度が整っているが、日本にはまだなかった。これが盛岡から始まるということは実に誇らしいことであり、私は大いに賛成している」と語っていた。

盛岡という地方都市で、このような航空少年団が誕生した背景には、伊東飛行家の個人的情熱と、時代の空気ーーすなわち「空の時代」への憧れがあったのだろう。


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