末崎村の一家無理心中(S11.9.2)
1936年9月2日
2025年8月8日
昭和11年9月1日夜、気仙郡末崎村(現・岩手県大船渡市末崎町)に帰省していた44歳の男性が、娘と同じ部屋で就寝していた。この男性は貨物運送船の船員として家族を支えていたが、大正5~6年ごろ、売卜者(占い師)の言葉を信じ、住居の東隣に厩舎を新築した。この新築費用として数百円の借金を負い、その後も家族の病気や死亡などの不幸が続き、借金がさらに増えていった。
加えて、自身も不治の病である花柳病(現在の表現では梅毒)を患い、精神的にも追い詰められていた。このような状況の中、旧盆のために数日の休暇を得て帰省したが、苦悩は解消されず、精神的に不安定な状態が続いていた。
9月2日午前3時ごろ、男性は屋外の便所に立った後、室内に戻る際、住居の土間に立てかけてあった斧を目にし、借金や病苦から解放されるために実母と娘を殺害し、自らも命を絶とうと決意した。
まず、男性は斧を手に取り、母親が寝ている部屋に向かい、実母の頭部を数回斬りつけた。その後、娘の寝ている部屋に向かい、物音に気づいて起き上がろうとする娘の頭部にも斧を振り下ろした。しかし、娘が悲鳴をあげたため、男性は斧を放り出してそのまま屋外に逃走した。
騒ぎを聞いた娘は母方の祖母とともに異変を察知し、実母の部屋を確認。実母は血まみれで倒れており、すぐに近隣住民が医者を呼んだが、実母は同日午後7時ごろに息を引き取った。一方、娘は頭部に重傷を負ったものの、一命を取り留めた。
事件後、男性は末崎村駐在巡査に逮捕され、盛警察署(現・岩手県警大船渡警察署)に連行された。その後、盛岡地方裁判所で裁判にかけられ、昭和11年12月10日に懲役10年の判決を受けた。
現在では、現場から1km程度の場所に大船渡線BRTの碁石海岸口駅が開業している。