湯田村の放火殺人事件(S12.6.15)

昭和9年10月10日午後10時30分ごろ、和賀郡湯田村大荒沢で最初の火災が発生した。この火災は便所から出火し、家が全焼した。原因は高齢の養母が灰の処理を怠ったことによる失火とされ、起訴猶予となった。

同年12月2日午後10時30分ごろ、同じ部落内で再び火災が発生した。今回は物置小屋が火元となり、家屋と倉庫が焼失した。原因は提灯の置き忘れとされ、住人は起訴猶予となった。

昭和11年11月18日午前0時ごろ、3度目の火災が発生した。この火災は便所が火元となり、家屋と隣家が焼失した。火元とされたのは、当日宿泊していた魚の行商人だった。宿泊客は黒沢尻町在住の39歳の女性で、仕事の移動中にその家へ泊まっていた。火災当時、この女性が便所を使用した際にマッチを使い、それを適切に処理しなかったことが原因とされた。この事件も失火として処理され、起訴猶予となった。

昭和12年6月15日午後9時40分ごろ、4回目の火災が発生した。この火災では家屋が全焼し、白痴(知的障害)の長男(当時26歳)と長女(当時31歳)が焼死した。この火災では放火の疑いが浮上し、警察は捜査を開始したが、原因は特定できなかった。

同年11月8日午前4時ごろ、5回目の火災が発生した。火元は家屋の西側で、家が全焼した。この火災も原因不明のままで、放火の可能性が指摘された。

昭和13年4月と7月の2回にわたり、匿名の投書が警察に送られた。その内容は、昭和12年に発生した2件の火災が放火であり、特定の住人が関与しているというものだった。警察はこれを受けて内偵を進めた。地元の消防関係者や同地区の住人の証言によって、容疑者が浮上した。容疑者は以前、知人に対して、家族に不具(障害)者が多く、生活に困窮しているため、「いっそ家を焼いてしまいたい」と述べていたことが判明した。

この容疑者の家族構成は以下の通りだった。家族全体は15人で、精神的・身体的な問題を抱えた者が多く、経済的に困窮していた。
・父親(72歳)
・母親(当時69歳)
・容疑者本人(41歳)
・容疑者の妻(38歳)
・子供たち
・長女(31歳、白痴(知的障害)、昭和12年6月の火災で死亡)
・長男(26歳、白痴(知的障害)、昭和12年6月の火災で死亡)
・次女(24歳、癲癇(てんかん))
・三女(22歳、癲癇(てんかん))
・長男(18歳、癲癇(てんかん))
・四女(15歳、癲癇(てんかん))
・次男(13歳、癲癇(てんかん))
・三男(10歳、癲癇(てんかん))
・四男(5歳)
・その他、離縁され戻ってきた妹とその子供1人

昭和14年7月11日、警察の取り調べにより、昭和12年6月の火災が放火であったことが明らかになった。容疑者は「14人の家族を一人で養う生活の困難さから追い詰められ、白痴(知的障害)の子供2人を焼き殺すことで家族の負担を軽減しようと考えた」と供述した。一方、それ以外の火災については関与を否認した。

この事件は盛岡地方裁判所に送致され、昭和15年5月13日、放火、殺人などの罪で懲役13年の判決が下された。事件の背景には極度の貧困と、家庭内に多くの精神疾患や障害を抱える家族がいたことがあるとされた。


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