朝香宮殿下は花巻・黒沢尻(北上)から釜石へ(S14.7.4新岩手日報)
昭和14年7月4日の新岩手日報の紙面を紐解くと、当時の岩手県が国策の重要拠点としていかに緊張感と活気に満ちていたかが鮮明に浮き彫りになります。

この日の報道の中心となっているのは、昭和天皇の叔父にあたる朝香宮鳩彦王殿下の県内視察です。朝香宮殿下は陸軍大将として軍部でも重きをなした皇族であり、スポーツを愛する一方、軍人としての厳しい横顔も併せ持った人物でした。このような高貴な方がわざわざ東北の地に足を運ぶということは、当時の県民にとって単なる行事以上の、国家的な連帯感を再認識させる大きな意味を持っていました。
殿下はまず花巻温泉にある傷痍軍人療養所を訪問されました。日中戦争が泥沼化するなかで前線から帰還した傷病兵たちを労うことは、皇室にとって極めて重要な公務でした。紙面では、花巻町助役が授産所の運営状況について殿下に詳細な説明を行い、殿下が深く耳を傾けられた様子が報じられています。これに続く「感涙にむせぶ」という表現からは、殿下の温かいお言葉に触れた遺族や負傷兵たちの、言葉に尽くせぬ感激が当時の報道感覚で熱烈に描写されています。
続いて殿下は、現在の北上市にあたる黒沢尻へと向かわれました。ここでは当時の最先端技術の象徴であった国産軽銀工場、つまりアルミニウム工場の視察が行われました。航空機の機体材料として欠かせないアルミニウムの国産化は、軍事的な自立を急ぐ日本にとって最優先事項の一つであり、殿下の訪問はその生産現場を鼓舞する象徴的な出来事でした。
視察の道中、殿下は遠野方面を流れる猿ヶ石川の清らかな風景を愛でられながら、内陸から沿岸の釜石へと移動されました。当時、猿ヶ石川の穏やかな自然を背にしながら向かった先は、日本最大級の製鉄所を擁する工業都市としての釜石でした。重工業の要衝である釜石を殿下が視察されたことは、岩手が単なる農業県ではなく、鉄と軽金属という二つの大きな翼で国防を支える産業の柱であったことを物語っています。
紙面全体を通じて強調されているのは、殿下をお迎えした岩手の人々の熱狂的な忠誠心と、銃後を守る農山村の力強い足取りです。美しい自然の中をひた走る殿下の車列を、沿道の村々が総出で奉迎する様子が、情緒的な筆致で記録されています。この記事は、戦時体制が深まる中で、皇室と地方社会、そして近代産業が分かちがたく結びついていった時代の断面を、今に伝えてくれる貴重な史料と言えるでしょう。