県下3番目の宮古市発足(S16.2.11新岩手日報)

昭和16年2月11日の紀元節に発行された新岩手日報の紙面は、宮古市が産声を上げた瞬間の熱狂を詳細に伝えています。

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明治22年の盛岡市、昭和12年の釜石市に続く岩手県内3番目の市として誕生した宮古市に対し、新聞は海陸無限の宝庫や世紀の発足、三陸沿岸の心臓といった力強い言葉を冠してその門出を祝いました。当時の紙面を読み解くと、単なる行政上の合併という枠を超え、太平洋へ開かれた国家的役割を担う拠点都市としての期待が、行間から溢れ出しているのが分かります。記事では市制施行奉告祭の様子や、市街地に翻る祝旗、そして市民の歓喜の声が細かく報じられており、小原支庁長による今後への展望や、山内知事による自治振興の慶祝文なども掲載され、全県を挙げての祝賀ムードが漂っています。

この歴史的な転換点において、合併の主役となった1町3村の首長たちは、それぞれ顔写真とともに並々ならぬ決意を表明しています。宮古町の菊池武右衛門町長は、長年の悲願であった市制施行を成し遂げた安堵とともに、中心地として新市を牽引する重責を語りました。山口村の佐々木文受村長は、旧来の村という枠組みを超えて新しい市民として固く団結することの重要性を説き、磯鶏村の上野栄治村長は、交通と産業の結節点としての自負を覗かせながら将来の躍進を誓っています。また、千徳村の石川儀一村長は、農村部と都市部が一体となることで生み出される新たな産業の創出や調和の可能性を強調しました。これらのリーダーたちの言葉からは、慣れ親しんだ町村が消える寂しさよりも、一丸となって「大宮古」という大きな海へ乗り出そうとする力強い気概が感じられます。

さらに紙面を彩るのは、当時の宮古の経済力や社会基盤の充実ぶりを示す多種多様な広告と写真です。特に紙面中央で目を引くのは、宮古済生堂病院の威風堂々とした外観写真であり、新市の医療や福祉を支える象徴的な存在として紹介されています。また、宮古港の修築計画や工業の発展についても触れられており、当時の宮古がまさに膨張一途の勢いにあったことが分かります。広告欄には、ラサ工業、鹿島組、富士鐵工所、松本商店といった重厚な地元企業のほか、日本ツーリストビューロー指定の旅館や地元の酒造店、金物店、魚市場などの名前が所狭しと並んでいます。これらは単なる宣伝にとどまらず、新しく誕生した宮古市を足元から支え、共に歩もうとしていた人々の暮らしと経済活動の活気そのものを証明しています。

85年前のこの日、新聞の見出しに躍った世紀の発足という言葉は、決して誇張ではありませんでした。年末には太平洋戦争が始まるという激動の時代背景の中にありながら、三陸の豊かな海と陸を結ぶ心臓として、先人たちがどのような夢を描き、どのような覚悟で新しい市の土台を築き上げたのか。この黄ばんだ紙面は、現代の宮古市へと繋がる誇り高き出発の記録として、今もなお色褪せない鮮やかなメッセージを放ち続けています。


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