岩手県産業奨励館が閉館(S16.11.25新岩手日報)

昭和16年11月25日の新岩手日報が伝える岩手県産業奨励館の閉館ニュースは、開戦直前の緊迫した時代背景を色濃く映し出しています。

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この記事は、明治から昭和にかけて岩手の近代化を牽引してきた象徴的な建物が、時局の波に押されて52年の歴史に幕を閉じる瞬間を記録したものです。

この施設の歩みを辿ると、岩手がいかに産業振興に心血を注いできたかが分かります。その起源は明治23年に盛岡で開催された奥羽聯合会共進会に遡ります。この博覧会の成功を受けて翌明治24年に物産陳列館が開館しました。明治40年には16周年記念行事とともに岩手県物産館へと改称され、大正3年には重厚な佇まいの庁舎へと改築が行われました。その後、大正14年に工業試験場と合併して技術的な役割を強め、昭和8年には商工館から独立して岩手県商品陳列所となりました。

特筆すべきは昭和10年11月19日の出来事で、秩父宮ご夫妻がご台覧されたことは当時の岩手県にとって最大の栄誉であり、地域の誇りとなりました。そして紀元二千六百年を祝う昭和15年4月に岩手県産業奨励館と改められましたが、そのわずか1年半後、太平洋戦争開戦のわずか2週間前に閉鎖を余儀なくされました。

興味深いことに、広島県にも同じ役割を担った広島県産業奨励館が存在していました。それが現在、負の世界遺産として知られる原爆ドームです。岩手の奨励館が開戦直前の時局によって静かにその役割を終えた一方で、広島の奨励館は終戦直前の惨禍によってその姿を留めることになったという対照的な運命を辿っています。

明治の共進会から始まり、皇族のご台覧という頂点を経て、戦争という時代の荒波に消えていった岩手県産業奨励館。52年という歳月をかけて築き上げた産業の殿堂が、軍事優先の社会へと塗り替えられていく過渡期にひっそりと姿を消した事実は、地域の歴史における大きな転換点であったと言えます。

当時の新聞に掲載された石造りの立派な建物の写真は、かつての盛岡の内丸に確かに存在した産業の活気を今に伝えています。この記事を通じて、私たちは地域が歩んできた近代化の軌跡と、それが戦争によって断絶された重みを改めて再確認することになります。


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