戦争も過酷になっていき、資源のない日本は家庭にある銀まで徴発しなければならない事態となっていた。
盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日)
岩手県協和会が朝鮮半島出身労働者を表彰(S19.8.1新岩手日報)
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