「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」

昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。

「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」

広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」

そもそも東亜鉱工ってどこの会社?

と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。

ラサ工業といえば宮古か。

軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできなかったようである。

それで「○○精錬所」と。

ただ、「東亜鉱工」と言ってしまえば誰でもあそこのことかと感づくようにはなっていたようである。

昭和16年、盛岡・釜石に続き岩手県3番目の市として市制した宮古市は空襲被害にもあったようで、それは昭和20年8月10日のことであったという。

この「ミヤペディア」を見る限りでは、この東亜鉱工○○製錬所つまりラサ工業宮古工場は空襲での犠牲者は実際になかったようである。

これ以外の所では「被害僅少」と盛った報告をするのは日常茶飯事だったのだ。

 


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