さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日)

昭和20年8月17日の岩手日報より。

それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。

しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。

それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出ではなくなった。

しかし、新日本の食料を確保するために、教室をやらなければいけなかった。

記事の最後は「日本民族の滅亡を防ぐために」で結んである。

 

 

 


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