さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日)
1945年8月17日
2022年5月31日
昭和20年8月17日の岩手日報より。
それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。
しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。
それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出ではなくなった。
しかし、新日本の食料を確保するために、教室をやらなければいけなかった。
記事の最後は「日本民族の滅亡を防ぐために」で結んである。