萩荘村の強盗殺人(S21.10.13)
昭和21年10月13日、岩手県西磐井郡萩荘村大字下黒沢(現在の一関市萩荘下黒沢)に住む52歳の女性が、配給品の学童服を購入するため、西磐井郡一関町(現在の一関市中心部)に出かけた。女性は夕方には戻る予定だったが帰宅せず、家族は不安を抱いた。翌14日の早朝、57歳の夫が一関町新大町(現在の一関市新大町)に住む親戚や萩荘村内の知人宅を訪ねて消息を尋ねたが、女性の行方は分からなかった。
その後、夫は萩荘村内の雨堤山道(現在の一関市萩荘字雨堤)を探し始めた。俗に「早坂峠」と呼ばれる山道付近の熊笹が密生する松林で、女性の遺体を発見。遺体は頭部を激しく殴打され、さらに手拭いで首を絞められており、所持していた財布などが奪われていた。夫は急ぎ親戚や近隣住民に知らせ、一関警察署(現在の一関市中心部)に通報した。
警察は現場検証を行い、強盗殺人事件として捜査を開始。10月17日、萩荘村内で行われた秋祭りでの会話をきっかけに、有力な目撃証言が得られた。犯行当日、雨堤山道付近で、血の付いた手をした22歳の男が松林から戻る姿が目撃されていたことが判明。この男は萩荘村字泉山(現在の一関市萩荘字泉山)に住んでおり、さらに事件現場で目撃された人物の特徴とも一致していた。
捜査班が男の自宅を訪問したところ、家宅捜索で血に染まった薪割り用の鉈を発見。男はその場で逮捕された。取り調べの中で、男は生活苦から金銭を奪う目的で偶然通りかかった女性を襲い、殺害したことを自供した。男は、終戦後に北海道から一家で引揚げてきたが、生活が困窮しており、配給を受ける金銭も不足していたことが犯行の動機となったと述べた。
事件は昭和22年5月に盛岡地裁一関支部(現在の一関市山目)で裁判が開かれ、無期懲役の判決が下された。被告は判決を不服として控訴と上告を行ったが、昭和22年10月に仙台高裁で控訴が棄却され、昭和23年2月に最高裁で判決が確定した。この事件は、終戦直後の食糧難や貧困に追い詰められた人々が引き起こした悲劇の一例として語り継がれている。