盛岡・アル中男の養母殺し(S23.10.25)
1948年10月25日
2025年8月22日
昭和23年10月25日、盛岡市志家で養母殺害事件が発生しました。加害者は昭和2年1月27日生まれ、当時21歳9か月の無職男性で、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字富根町で生まれました。幼少期に叔母夫妻の養子となり、盛岡市志家で養父母と共に育ちました。
戦後の混乱期に、加害者は酒や煙草に依存し、多額の借金を抱える生活に陥りました。その返済のために養父の現金や時計を無断で持ち出しましたが、これが発覚して昭和23年10月13日に養父から家を追い出されました。その後、宿無しとなり転々とした生活を送っていました。
事件当日、加害者は自らの非を詫びて家に戻り、午後3時頃帰宅しました。しかし、養母は彼を激しく拒絶し、暴力的に追い出そうとしました。この際の揉み合いで、加害者は養母の首を絞め、結果的に窒息死させてしまいました。その後、養父の帰宅を待ち伏せて殺害しようとしましたが、騒ぎを聞きつけた近隣住民に阻止され、現行犯逮捕されました。
本事件は尊属殺人およびその予備行為として送検され、盛岡地方裁判所で審理されました。昭和24年2月21日、裁判所は正当防衛ではなく過剰防衛と認定し、懲役12年の判決を言い渡しました。その後、加害者は控訴し、昭和24年9月27日に仙台高等裁判所で懲役10年に減刑されました。