盛岡は5年後こうなる(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報の紙面を眺めていると、終戦からわずか5年という激動の時代に、当時の盛岡の人々が抱いていた熱い情熱がダイレクトに伝わってきます。

Screenshot

紙面の中央を飾る県都五年後の夢という言葉には、戦後の混乱を乗り越え、新しい都市を自分たちの手で築き上げようとする強い意志が込められています。この記事で最も注目すべきは、総工費4億4千万を投じるという壮大な五カ年計画です。当時の物価を考慮すれば、これはまさに県を挙げた国家規模にも匹敵する大プロジェクトだったと言えるでしょう。

特に興味深いのは、盛岡を水の都、緑の盛岡として再定義しようとしている点です。掲載された美化想定図を見ると、中津川のほとりを市民の憩いの場として整備し、岩手公園周辺に近代的な公共施設を配置する構想が描かれています。現在は当たり前のように存在している県庁の五階建てへの改築案や、市役所、公会堂、図書館といった文化施設の再編についても詳細に触れられており、現在の盛岡の街並みの骨格がこの時期に形作られようとしていたことが分かります。

記事の端々からは、東京の丸の内にも負けないビジネスセンターを構築しようとする野心や、観光都市としての魅力を高めようとする先見性が読み取れます。当時の人々がこの新聞を手に取り、未来の地図を指でなぞりながら語り合ったであろう光景が目に浮かぶようです。

75年前の先人たちが描いた理想郷のイメージは、現在私たちが暮らす盛岡の景色の中に、美しい緑や川の流れとして確かに息づいています。古い新聞の一面は、単なる記録という以上に、私たちが今享受しているこの街の豊かさが、かつての切実な夢から始まったものであることを改めて教えてくれます。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です