弘前無尽「無尽契約30億円達成御礼!」(S25.12.1岩手新報)
1950年12月1日
2025年7月30日
昭和25年12月1日の岩手新報より。
当時の弘前無尽(現在のみちのく銀行)は、無尽契約の累計が三拾億円(30億円)に達したことを記念し、感謝広告を紙面に掲載している。これは昭和25年10月末時点での記録であり、「東北無尽業界に新記録をつくるにいたりました」と誇らしげに記されている。
広告文面では、地域住民の支援に対する感謝とともに、「この上とも一段と努力して各位の御経済貯蓄のために尽くす覚悟」であると今後の方針も述べられている。
「無尽」とは、現在の金融機関の源流のひとつとなった庶民金融の仕組みで、参加者が毎月一定額を出し合い、順番または入札で資金を融通し合う相互扶助的な制度である。冠婚葬祭や急な出費、事業資金などに広く利用されており、地域に根ざした資金循環の方法として明治・大正期から盛んに行われていた。無尽講を法人化した「無尽会社」が昭和初期に各地で設立され、弘前無尽もそのひとつである。
当時の弘前無尽では、「支店」や「営業所」ではなく「会場」という呼称を用いていた。広告にも「盛岡会場」(盛岡市大通り二ノ三)や「福岡会場」(二戸郡福岡町仲町)という表記が見られ、現在で言えばそれぞれ盛岡支店、二戸支店に相当する。
この弘前無尽はその後、1951年に弘前相互銀行と改称し、1976年(昭和51年)10月には青和銀行と合併して「みちのく銀行」となった。青森県を拠点とする地域金融機関として現在も営業を続けている。
昭和20年代の地域経済が復興と成長の途上にあった時代、このような地方無尽会社の果たした役割は大きく、地域との信頼関係を反映した感謝広告は、当時の熱気と誇りを今に伝える貴重な資料である。