中共からの帰国者のその後(昭和28年8月25日)

昭和28年8月25日の岩手日日より。

興安丸に乗って中国から帰国してきた人々はその後どうなっただろうか。
日本社会に順応しているだろうか。

一関市や西磐井郡では12世帯、27名いたのだという。

その数例を追う記事である。

  • 一関市 42歳男性
    昭和19年に三井鉱山本社から満州三井に転任。
    引揚後、三井に復帰したいと運動したら「渡満の際に退職したのだから」と認められなかった。
    思想的に妙な目で見られているからではないか?という疑念も。
  • 一関市 57歳男性
    満州では満鉄の信号技師をやっていたので、仙台鉄道局や盛岡管理部に就職活動するも採用予定が無いという。
    それでも鉄道関係の仕事がやりたいというので、駅頭の売り子に。
  • 東磐井郡舞川村 47歳男性
    引揚援護庁の帰国者に対する正業資金5万円を元手にリンゴ、ナシ箱製造に乗り出し現在では各方面に送っているという。
  • 西磐井郡厳美村 31歳女性
    第3次引揚船で帰国。一生を看護婦で送ろうと思っていた矢先に宮城県金成郡萩野村(現在の有壁駅のあたり)に良縁があり結婚することに。
  • 西磐井郡涌津村 26歳男性
    就職口が無ければ10月までに開拓者として入植予定。

 

 

 


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