どうなる江刺郡の合併問題(昭和28年10月7日)
1953年10月7日
2021年12月26日
昭和28年10月7日の胆江日日新聞より。
江刺郡の合併問題について、10月3日江刺具町村合併促進協議会が行われた。
江刺郡の中心となる(後年、江刺市役所が置かれることにもなる)岩谷堂町の町長からは、富山県の石動・桜井近辺の総合開発で合併の基礎が作られていることにより、江刺郡も猿ヶ石川の総合開発と並行して、岩谷堂町中心に合併を、という腹であった。
ところが、福岡村では9月26日の村議会で黒沢尻町への編入を希望する決議をとった。
また、大船渡~黒沢尻~横手の国道(現在の107号線)が実現し、梁川村も黒沢尻に行くのではないかという公算が大きいとの噂だった。
米里村・玉里村・伊手村・藤里村は国有林と村有隣の所有が同じでこれらが無条件で合併する模様。
稲瀬村は独立の傾向があるようで、北上川に近い上門岡・下門岡は黒沢尻町に近く、今後の成り行きが注目されるという。
愛宕村は岩谷堂町ともども水沢町と合併したいようであったが、岩谷堂町は江刺郡の中心としてそれを承知していなかったので、愛宕村だけが水沢に行くのではないかと噂された。
羽田村・黒石村は水沢町への編入希望で、田原村は岩谷堂町に近い方は岩谷堂への合併を希望しているようで、分村は免れないのではないかという公算であった。