「岩手県警」が発足、200名の人事異動(S29.7.1岩手日報)

昭和29年7月1日、岩手の警察史のみならず、日本の治安制度が根底から覆った歴史的な1日の様子を、当時の岩手日報は熱を帯びた筆致で伝えています。この日を境に、戦後の混乱期を支えた複雑な警察体制は終焉を迎え、現在の岩手県警察が産声を上げることとなりました。

Screenshot

それまでの警察組織は、現代の私たちが知る姿とは大きく異なり、2つの組織が並存する特殊な形態をとっていました。盛岡市のような人口の多い市町村には独自の自治体警察が置かれ、盛岡市警察署が市内の治安を担っていました。一方で、当時の滝沢村や雫石町といった周辺の町村部については、国の組織である国家地方警察の管轄であり、国家地方警察盛岡地区警察署がその役目を果たしていました。このように、隣り合う自治体であっても組織の壁が存在し、制度上の分断があったのが当時の実態です。

この日の紙面を飾る「新県警察の人事発表」という大きな見出しと、そこに並ぶ200名の異動という数字は、単なる組織の名称変更ではない、極めて大規模な制度の統合を象徴しています。市町村の職員であった自治体警察の警察官と、国家公務員であった国家地方警察の警察官が、同じ岩手県警察という1つの組織の下に集結したのです。この再編によって、市街地と町村部の境界線に縛られることのない、一体的な広域捜査や効率的な治安維持が可能となりました。

記事の中には、日赴任を命ずという言葉とともに、自治体発展の礎石となるよう求める期待の声や、部内刷新の徹底を欠くといった組織の肥大化を懸念するような鋭い指摘も混在しています。これは、全く出自の異なる2つの組織が1つになることへの現場の緊張感や、新体制が真に県民のための組織として機能していくのかという、当時の社会の厳しい視線をそのまま反映していると言えるでしょう。

また、警察関連のニュースの傍らには、庭園物語と題された風雅な連載や、時代小説さむらい日和が掲載されており、大きな社会変革の裏側にある当時の人々の穏やかな日常も同時に活写されています。昭和29年という、戦後の復興から高度経済成長へと足を踏み出そうとする激動の時代。その象徴ともいえる警察制度の統一は、私たちが今日当たり前に享受している平穏な暮らしの土台が築かれた、決定的な瞬間であったことがこの1枚の紙面から深く読み取れます。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です