牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日)
1956年3月17日
2022年5月22日
昭和31年3月17日の河北新報岩手版より。
宮古港から巡航船で30分のところにある宮越白浜部落は、75世帯、人口750名の小さな漁村である。
ここにある白浜小学校には、78名の児童が通っているが、漁業の不振から部落自体の経済自体がひどくなり、600円から1000円の教科書代すら捻出できない状況であったと言う。
まして、2人や3人の子供を持つ家はなおさらであった。
そこで、部落会長とPTA会長が、総会で教科書代だけでも何とか負担するように相談し、巡航船の収益や地引網漁業の収益を教科書代に給付することとした。
ところが、宮古から重茂にバスが運行するようになってから客がそちらのほうに行き、巡航船の収益が少なくなってしまった。
そこで、PTA会長を兼務している白浜カキ協同組合長が、部落にカキ棚の寄附を行ってカキむきで4万円の収入を上げ、昭和31年度の教科書代に充当することとした。
これには、白浜小学校の校長の「教育に対する熱意には全く頭下がります」と感謝し通しだった。