i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関・金光堂のソフトクリームは30円(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関の金光堂という喫茶店?のソフトクリームは30円とのこと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 県南バス人事(昭和33年7月1日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 県南バスでは7月1日付で人事異動を行い、一関営業所長は水沢営業所長に、後任は大船渡営業所から来るという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 30日 1958 一関市の人口59,295人(昭和33年6月30日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 6月末現在の一関市の世帯数は10,827世帯、人口は59,295人(男29,108人、女30,187人)であったという。 前月に比べ12世帯、169人の減少。 地区別の人口は以下の通りであったという。 一関・・・14,397人 山目・中里・・・17,796人 真滝… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 21日 1958 盛岡・東宝第一劇場で「太鼓たゝいて笛吹いて」封切!(昭和33年5月21日) 昭和33年5月20日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場で「太鼓たゝいて笛吹いて」を封切する。 初公開は5月13日なのでタイムラグは1週間程度。 出演は宮城まり子や三木のり平。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5月 20日 1958 束稲山でツツジ祭り 昭和33年5月20日の岩手日報より。 平泉町と前沢町の境の束稲山は、ツツジ祭りで多くの観光客で賑わった。 写真はフォークダンスを楽しむ若者。… 続きを読む
j東磐井郡 5月 20日 1958 僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 20日 1958 「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映 昭和33年5月20日の岩手日報では、盛岡国劇で「戦場にかける橋」が封切になる旨の広告が出されている。 「戦場にかける橋」は言うまでもなく1957年英米合作の戦争映画で、収容所長役の斎藤大佐役を演じた早川雪洲はアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 日本での初封切は前年1957年の12月22日で… 続きを読む
l全県 5月 20日 1958 にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 連載されている漫画「にたもの親子」では選挙について扱っている。 5月22日には第28回衆議院議員総選挙が予定されていた時期であった。 乞食のようなボロボロの男も投票所へ行く。 そして問わず語りにいわく「あたしが投票した人は正直でウソを言わぬ人」。 ・・・と思った… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5月 20日 1958 水沢女子高の教諭が関東以北で初めてのオランダミミナグサを発見(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 植物研究家でもある水沢女子高の教諭が、水沢警察署裏の北常盤踏切で「オランダミミナグサ」を発見したという。 このオランダミミナグサは、本来はヨーロッパにだけ生えている雑草であるところ、戦後は東京や横浜でも存在が確認されていた。 これは、戦後になってヨーロッパとの貿… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 20日 1958 第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など 昭和33年5月20日に岩手日報に掲載佐された選挙広告より。 椎名悦三郎(自):後年まで知れた大物議員。水沢市出身。この選挙の翌年、岸内閣で官房長官となる。その後の池田内閣でも通産大臣や外務大臣を務める。 千葉七郎(社):東磐井郡千厩町出身。この選挙では落選するが、昭和38年の第30回衆議院選挙で当選… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1958 第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝 昭和33年5月18日の岩手日報より。 22日に投票日を控え、県選挙管理委員会では公明選挙を訴え、県公会堂の前でアドバルーンを上げることに。 また、記事では棄権を無くすように訴えている。 この頃から「選挙で何も変わりはしない」と斜に構えたニヒリストはいたようである。 また、「20」を「廿」で表記するの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1958 6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日) 昭和33年5月18日の岩手日報の広告欄より。 三波春夫が盛岡体育館に来るという。 今でこそ盛岡でコンサートがあるといえば岩手県民会館(昭和48年竣工)か、盛岡市アイスアリーナ(平成元年竣工)が相場になっているが、当時は盛岡体育館(昭和32年竣工)だったようである。 この当時、三波春夫がどんな歌手であ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 17日 1958 鈴木善幸の選挙広告 昭和33年5月22日の第28回衆議院選挙に先立ち、5月17日の岩手日報に掲載された鈴木善幸の選挙広告。 当時の選挙区は、氏の出身地である下閉伊郡山田町も含めた岩手県の北半分が岩手1区であった。 鈴木善幸の初当選は、意外なことに昭和23年に社会党からの当選となっているのである。 当時はアイオン台風から… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 15日 1958 ナイトスポット「ソシュウ」オープン 昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 26日 1958 花巻電鉄に新車導入 昭和33年4月26日の岩手日報では、「温泉郷結ぶ近代車」として、花巻電鉄に新車が導入されたことを報じている。 岩手日報(昭和33年4月26日)より 新たにお目見えしたのは、日本車両で製造されたのだという。 現在、花巻市材木町公園に保存されている「馬面電車」と違って、さほど幅の狭さは目立たない。 この… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 25日 1958 盛岡市立高校が加賀野に移転 下小路にあった盛岡市立高校がそれまでの校地を下小路中学校に譲渡し、加賀野に移転することになった。 盛岡市立高校は昭和24年に、盛岡市立女子高校と盛岡市立女子商業高校を合併して発足した女子校であった。 これが共学化するのは、この翌年の昭和34年からである。 共学化を見越した校舎の移転だったのであろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 24日 1958 早くもコイノボリ 昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 盛岡東宝第一劇場で「無法松の一生」大公開! 昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 東宝直営の第一劇場では「無法松の一生」を公開するのだという。 (封切という表現は使っていない) 「無法松の一生」を稲垣浩が監督するのはこれが初めてではなく、昭和18年に大映によって阪東妻三郎主演によって初公開されたのだが、お色気シーンを内務省に検閲され、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 盛岡東映で「大菩薩峠 第二部」「月の輪族の逆襲」封切で東京同時大公開! 昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 「大菩薩峠 第二部」は、昭和10年の日活(大河内伝次郎主演、稲垣浩監督)に始まり、昭和28年に東映(片岡千恵蔵主演、渡辺邦男監督)でも映画化されている。 今回は東映で片岡千恵蔵が主演で、監督は内田吐夢のバージョンとなる。 また、「変幻胡蝶の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1958 盛岡・国劇で「殿方ご免あそばせ」「船の女」公開!(昭和33年4月20日) 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の洋画専門館・国民劇場では4月20~28日の間、「殿方ご免あそばせ」と「船の女」を公開する。 「殿方ご免あそばせ」(原題:Une Rarisienne)はフランス映画で日本での初公開は昭和32年12月21日。 主演は当時マリリン・モンローと並び立つセ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 4月 20日 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 ラジオ岩手の番組表(昭和33年4月19日) 昭和33年4月19日のラジオ岩手の番組表は以下の通りであった。 ちなみに昭和47年に単位がKCからkHzになり、昭和53年に10kHz刻みから9kHz刻みに変わる前のことである。 JODF(盛岡)580KC JODL(前沢)、JODM(釜石)1060KC 7:20 希望のアルバム 7:30 朝の童謡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 岩手でも日食を観測できた 昭和33年4月19日の日食は、Wikipedia仁も独立して項目がある。 日本の南の報では、金環食を観測することができたようである。 これが岩手ではどうだったか・・・ 盛岡でも日食を観測できるとあり、盛岡一高の天文部も、盛岡地方気象台の屋上に陣取って午前中から大張り切りであった。 そして13時11分… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 19日 1958 弘前大学に野辺地分校? 昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。 久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。 弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・ Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。 (Wikipedia「青森青年師範学校」より)… 続きを読む