盛岡でもテレックス開始(S37.2.21岩手日報)
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【昭和37年】盛岡ビジネスの転換点!テレックス開通と急行「よねしろ」誕生の記録
先日、昭和37年(1962年)2月21日付の「岩手日報」を拝見しました。そこには、盛岡が近代的なビジネス都市へと脱皮しようとする、当時の熱気あふれるニュースが並んでいました。
1. 待望の「通信革命」!テレックスの開通

一面を飾るのは「待望のテレックスが開通」という大きな見出し。電話とタイプライターを組み合わせ、文字情報を即座に伝達できる「加入電信(テレックス)」が盛岡にも導入されたのです。
当時の状況:
開通式では島野仙台市長と、川村盛岡市長代理の間でメッセージが交換されました。当時の仙台市の人口は約44万人。東北の拠点である仙台と、リアルタイムな「文字」で繋がったことは、当時のビジネスマンにとって驚天動地の出来事だったはずです。
それまでは郵便や電話、電報に頼っていた情報のやり取りが、この日から「電算化(事務の近代化)」へと大きく舵を切ることになりました。
2. 「情報の高速化」と「移動の高速化」が同時進行
実はこの日、もう一つの大きなニュースがありました。秋田と盛岡(さらには青森)を花輪線経由で結ぶビジネス急行「よねしろ」の運行開始です。
テレックスが「情報のスピード」を劇的に上げたのと時を同じくして、急行「よねしろ」が「人の移動スピード」を加速させました。北東北の主要都市が、文字通り「線」で結ばれたのです。
- テレックス: 仙台や東京と瞬時に商談・発注が可能に
- 急行「よねしろ」: 秋田・鹿角方面への出張が飛躍的に便利に
これら「情報」と「交通」のダブル革命こそ、盛岡におけるビジネス近代化の本質だったと言えるでしょう。
3. 現代に続く「近代化」への挑戦
当時の新聞記事からは、「いよいよ我々の街も近代化の波に乗るんだ!」という誇りと期待がひしひしと伝わってきます。
| インフラ | 昭和37年当時の役割 | 現代の姿 |
|---|---|---|
| 通信 | テレックス開通 | インターネット・光回線 |
| 鉄道 | 急行「よねしろ」誕生 | 秋田新幹線・高速バス |
現代のインターネット社会の礎には、60年以上前のこの日に感じた「情報のスピードへの渇望」があったのかもしれません。
古い新聞を読み解くと、今の当たり前がいかに先人たちの情熱によって作られたかが分かりますね。皆さんのご家庭にも、こうした歴史の断片が眠っていませんか?
※引用資料:昭和37年2月21日付 岩手日報
