宮古の誘拐事件(S38.5.27)
昭和38年5月27日、岩手県宮古市で水産業を営む資産家宅に脅迫電話がかかる。犯人は「子供を預かっている。現金20万円を比古神社に持って来なければ命はない」と脅迫。資産家の中学1年生の次男(当時13歳)が誘拐され、藤原小学校校庭に呼び出された後、閉伊川堤防にある水防小屋(宮古市建設課管理)に監禁された。家族は恐怖の中、現金20万円を比古神社で犯人に渡し、次男を無事に取り戻した。
昭和38年6月16日午後9時頃、再び資産家宅に脅迫電話がかかる。犯人は「現金10万円を藤原小学校に持って来なければ家に火をつけ、子供を殺す」と脅迫。資産家は現金10万円を持参し、藤原小学校正門付近で犯人に渡した。
昭和38年6月22日午後9時頃、三度目の脅迫電話が資産家宅にかかる。犯人は「子供が大事なら今晩11時までに現金30万円を比古神社に持参しろ。持参しなければ子供2人を障害者にする」と脅迫。資産家はこれ以上の被害を恐れ、宮古警察署に通報した。
警察は資産家宅を秘匿警戒し、犯人の指示に従うふりをして捜査を進めた。犯人は現金受け渡し場所を比古神社から宮古母子寮に変更するよう指示。警察は迅速に対応し、包囲網を宮古母子寮周辺へ再配置した。
昭和38年6月22日午後10時55分頃、宮古母子寮近くの樹木の陰に潜んでいた不審な少年(当時16歳)を警察が発見。少年は模造けん銃や登山ナイフを所持しており、緊急逮捕された。少年は「アメリカのリンドバーグ事件や吉展ちゃん事件(この時点で事件から2ヶ月近く経っていたが犯人は捕まっていなかった)に触発され、資金を得るために犯行に及んだ」と供述。閉伊川堤防にある水防小屋を拠点にし、これまで脅し取った金を映画や飲食に使い果たしていた。
少年は幼少期に母を亡くし、義母との不和や家庭環境の不安定さを背景に非行に走った。また、ギャング映画に強い影響を受け、空想を現実化しようとして犯行に及んだ。
昭和38年6月24日、少年は営利誘拐略取、恐喝、恐喝未遂、銃刀法違反の容疑で盛岡地方検察庁に送致された。
昭和38年11月11日、盛岡地方裁判所で少年に対し「懲役3年以上5年以下」の判決が下され、同年11月26日に判決が確定。判決では、少年の計画性と大胆さが強調され、被害者や社会に与えた重大な影響が指摘されたが、未成年であることを考慮した処遇が下された。